満州分村慰霊

 8月22日は、江川崎満州分村犠牲者慰霊の日。

今年も、江川崎保育園隣にある満州分村殉難碑と戦没者忠霊塔に、引き揚げ者が集まった。

昭和17年から19年にかけて、旧江川崎村から村を分ける形で429人が満州に渡ったが、敗戦後の引き揚げの中で、襲撃、飢餓、病気などにより、7割以上の人が生きて「母村」に帰ることができなかった。

江川崎満州分村については、このブログですでに2回書いている。

 満州分村 http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-187.html
 満州大清溝 http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-146.html

昭和20年8月15日は、日本敗戦の日。戦争が終わった日。しかし、満州では地獄のような戦争が始まった日である。

開拓団は奥地に入植しているので日本の敗戦を知ったのは8月19日になってから。8月22日、引き揚げ(脱出)を開始した。

毎年、この日に生存者が集まり、満州で命を落とした家族や仲間たちに手を合わせている。

しかし、生存者も年々少なくなり、今年は6名。

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忠霊塔の扉を開けると、戦没兵士の名前と一緒に、満州での犠牲者たちの名前が記された位牌が並んでいる。線香とローソクを立て、供え物を置き、一人ずつじっと手を合わせた。

江川崎村開拓団員の位牌の数は316。
ほかに、津大村開拓団員(昭和33年、両村が合併にして西土佐村になる)の位牌が44ある。

きょうの江川崎の最高気温は38度。
じりじりと焼け付く暑さは、71年前の満州も同じだっただろう。

昨年、地元出身作家中脇初枝が取材調査にもとづき江川崎開拓団をモデルにした小説「世界の果てのこどもたち」を書いた。本屋大賞4位になっている。

8月31日には、その中脇初枝が江川崎に来て、市民大学講演「『世界の果ての子どもたち』が生まれるまで~幡多から旧満州に渡った人たち~」がある。

私はこの小説をもってきて、犠牲者たちにその報告をした。

慰霊の集まりがいつまで続けられるかわからない。

しかし、・・・
「あなたたちのことはみんな決して忘れません」と。

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田中全(ぜん)

Author:田中全(ぜん)
四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃんです。

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