小石原、上野、高取

小鹿田(おんた)の山を越えると福岡県に入り、次の山を登ったとところが小石原である。車でわずか40分ほど。以前は小石原村であったが、知らぬ間に、隣の宝珠山村と合併して東峰村になっていた。

 この小石原の焼き物が江戸の宝永年間、小鹿田に伝わった。小鹿田の兄貴分であり、民陶の世界では小鹿田とセットで分類される。一子相伝は崩れ、よそからの独立も多いので、窯の数は約50と小鹿田よりも多く、その分、伝統にこだわらない作風も増えている。

 私は伝統好みなので、以前から馴染みのある窯を選んで歩いた。柳瀬、梶原、太田、川崎など。小鹿田と似ているが、雰囲気が少し違う飛鉋(とびかんな)の皿や鉢などを買った。

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 秋の日は釣瓶落とし。昼を過ぎてから、ここに入ったのですぐに暗くなってきた。筑豊方面に山をくだり、添田町の英彦山麓を走って、田川にその日の宿をとった。かつての炭鉱の町だ。

 井上陽水はここ田川生まれだが、父は幡多の人であり、先祖の墓が土佐佐賀にあると聞く。かなり前、陽水は土佐佐賀で「里帰りコンサート」をやったことがある。父は田川で歯科医院をやっていたそうだが、どんな経緯からここにきたのかは知らない。

 翌日、上野(あがの)に向かった。わずか30分ほどだ。福智山の麓に窯が20ほど点在している。小堀遠州好みの遠州七窯の一つで、茶陶の世界では有名。格が高いだけ、値段も高く、食器類はあまりつくっていない。 

 ここも以前は赤池町であったが、いまは金田町、方城町と合併して福智町になっていた。平成の合併の猛威さがわかる。上野焼会館で各窯の展示を一通り見てから、やはり伝統窯を回った。熊谷、高鶴、高田など。重鎮の熊谷保興さんがちょうどおられ、茶室でお茶を入れていだだき、恐縮した。一緒に写真もとらせていただいた。
庭のもみじが見ごろで池に映って、見事だった。

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 上野から、やはり30分ほどで高取に着く。といっても高取焼と称している窯は、いまは各地に分散しているので、訪ねたのは、初期のころの窯があった鷹取山の麓、内ヶ磯である。いまは直方市。

 ここら辺は、昔の国境で複雑だ。鷹取山は筑前の国(黒田藩)であるが、上野がある福智山は豊前の国(小笠原藩→細川藩)である。上野焼は小笠原藩が、高取焼は黒田藩がはじめたものだ。いずれも、秀吉の朝鮮出兵のさい、朝鮮から連れてきた陶工たちによってである。

 高取焼も遠州七窯で、茶陶づくりがルーツ。本家筋は、いまは小石原(前日訪ねた)と福岡市に移っているが、内ヶ磯時代は唐津の影響を受けている。唐津が好きな私は、この地でその作風をいまに伝えている友枝観水さんを訪ねた。お会いするのは2度目。寒い日で、薪ストーブにあたりながら、高取焼の歴史について、詳しく教えてもらった。徳利とぐい呑みを買った。

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 そのあと、八幡インターから高速に乗り、博多(福岡市)に向かった。夕方近くになっていたが、以前3年間住んだところであり、当時の社宅跡を城南区鳥飼に訪ねてみた。聞いてはいたが、民間マンションに変わっていた。街も地下鉄が延伸するなど、九州の一極集中がますます進んでいる。

 夜は転勤で博多に来て間もない姪に会い、一緒に中洲の「河太郎」でイカを食べていたら、ちょうど大相撲九州場所でこちらに来ている、荒汐部屋の親方(元・大豊)と荒獅子関(序二段)と隣席になった。親方は元時津風部屋であるから、宿毛出身の豊ノ島関の話題などで盛り上がった。

相撲の世界も楽ではないようだ。
激励の握手をさせてもらった。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
幸徳秋水を顕彰する会事務局長。
FB(フェイスブック)もやっています。

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