仁尾惟茂

  前号木戸明に続く・・・

 幸徳秋水を顕彰する会では、9月11日、木戸明没後100年記念講演会「教育者木戸明の生涯」を開いた(四万十市教育委員会後援)。そのさい、講師の木戸秀雄氏(明ひ孫)から配布された資料の中に、4人から送られた葉書(写し)があった。

幸徳秋水、濱口雄幸、由比質、仁尾惟茂。
この中で、由比質、仁尾惟茂は初めて知る名前であった。
葉書は、秋水以外は年賀状。

調べてみると、由比質は高知中学時代の教え子、いまの高知市出身で、のちに旧制松山高校初代校長をつとめた教育者で、明治41年、熊本五高教授時代に出した年賀状であった。

仁尾惟茂(にお これしげ)については、「中村市史」に載っており、読んで驚いた。安岡良亮、濱口雄幸とも、深いかかわりがあるからだ。

仁尾は嘉永元年(1848)、幡多郡伊屋村(いまの四万十市双海)生まれ。18歳で、会津戦争に従軍。この前後、木戸明の教えを受けたものと思われる。その後新政府に入り、群馬、三重、熊本各県に派遣された。

これら3県には中村の先輩、安岡良亮も赴任していることから、これに従ったものと思われる。

熊本では安岡県令(知事)の下で「一等警部」についていたが、明治9年、不平士族神風連に襲撃された。安岡は殺されたが、惟茂は重傷を負ったものの、一命をとりとめた。

その後、大蔵官僚として出世し、大蔵省参事官、朝鮮国財政顧問、専売局長官を経て、貴族院議員(従三位勲一等)となった。(1932没)

安岡良亮については、先の5月14日付ブログで書いたように、私は今年4月、熊本市花岡山にある墓を訪ねている。安岡は木戸明の縁筋にあたり、幸徳秋水母の従妹でもあった。

惟茂は、神風連の乱で幸運にも、生き残った一人だったのだ。

そして大蔵官僚時代の後輩に濱口雄幸がいた。惟茂が専売局初代長官であり、2代目を濱口に引き継いでいる。濱口は木戸明の高知中学時代の教え子であるから、2人は木戸同門であった。

惟茂の明宛年賀状は、明治36年。日露開戦前夜。
戦費調達のため、煙草、塩専売制度導入に腐心していたころ。

惟茂もまた、幕末、明治、大正、昭和の大波を泳いだ一人なのだ。
墓は東京青山霊園。

それにしても当時の人たちの達筆ぶりには恐れ入る。


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 左より、濱口雄幸、由比質、仁尾惟茂

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 幸徳秋水


 



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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
幸徳秋水を顕彰する会事務局長。
フェイスブックもやっています。

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