中村とよさこい(2)

  よさこい四万十が入ってきたことで、中村の祭りは、8月市民祭、9月よさこい、10月不破八幡さん、11月いちじょこさん(一條大祭)と、続くことになった。

こう並べてみると、よさこいだけが異質なことがわかる。八幡さん、いちじょこさん、はともに神社主催であるが、氏子はみんな地元であり、地域に根差した、地域ぐるみの伝統の祭りである。市民祭は市役所が事務局となって、広く市民で実行委員会をつくり運営する。

これに対し、よさこいの主催は中村商工会議所(最初は同青年部)である。最近は後援に四万十市の名前が入っているが、実質的には商工会議所だけで仕切っていることに変わりない。

そんなことよりも、異質なのは、参加チームに地元中村のチームがないこと。祭りの舞台(会場)づくりや、宣伝、案内は地元でおこなうが、主役の踊り子は、ほとんどが「よその人」である。(幡多3チームに入って踊っている市民は一部いる)

これでは、芝居や歌の興業を呼ぶのと同じである。違うのは、無料(タダ)で見れること。無料の興業を市民に提供してくれることは、市民にはありがたいことである。

しかし、祭りの本当の喜びは自らも祭りに参加することである。せっかく事務局がいろんな準備や苦労をしても、一番おいしいところはよそにもっていかれる。

では、これで、よそからの観光客を呼べるかというと、そんな甘いものではない。観光としてなら、みんな本場の高知市の祭りへ行くだろう。また、踊り子たちがお金を落としてくれるのを期待しても、ほとんどが日帰りなので、わずかなものであろう。

一番いいのは、これに刺激を受けて、地元によさこいチームができて、地域のまとまりや団結力強化に貢献することかもしれない。しかし、始めて6年、まだその兆しはない。

地元によさこいチームができるのは、しかし、私はむずかしいと思う。理由は中村と高知の文化、風土の違いである。幡多文化と高知文化の違いともいえる。私は、よさこいは高知文化を代表するものと思っている。

よさこいの原型「よさこい鳴子踊り」がつくられたのは、戦後昭和25年、高知の観光PRのため。つくったのは高知商工会議所のメンバー。

この鳴子踊りがその後全国的に広がる。きっかけは、1990年代、よさこいソーランである。私はこのよさこいソーランを1997年、転勤先の札幌で見て、驚いた。そして、うれしかった。

北海道高知県人会に協力し、職場ロビーで、これぞ本場よさこいだ、とパネル展を開いたぐらいだ。2002年には、東京原宿のスーパーよさこいも見た。大阪でも類似のまつりも。

県外にいると、よさこいの勢いが強く感じられた。よさこいが全国を席巻していることが誇らしく感じられた。

しかし、中村に帰ってきてからは、見方がだんだんと変わってきた。県外からなら、よさこい=高知県全体、と見えるが、中村に帰ってきてみると、よさこい=高知市周辺、であることを感じるようになってきた。

幡多弁が高知弁と違うように、ヨッチョレヨ ヨッチョレヨ のあのリズムと、カチャ カチャ の鳴子の響きは、耳には小気味よく聞こえるが、何度も聞いていると、肌合いが違うように思えてきた。

中村はお公家さんのまちである。お公家さんは何ごとにもスローである。

中村によさこいが育たないのは、このせいであると思う。(続く)

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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