中村とよさこい(3)

 中村には土佐一條公家行列「藤祭り」がある。
中村は15世紀、京から下向してきた一條家がつくったまち。「藤祭り」は、中村御所に就く一條教房公の入府を再現したもので、毎年藤の季節の5月3日に行われている。

祭りを公家行列としたのは、いまも同じ5月に行われている京都の葵祭のルーツである賀茂祭が一條家ゆかりの下鴨神社の例祭であったことになぞらえたもの。京都では古くから「祭り」といえば、賀茂祭のことをさした。

藤祭りは、京都ゆかりのまち中村を広く知ってもらおうと、中村市商店街組合連合会(商振連)が1992年始め、すぐに中村商工会議所が引き継ぎ、今年で25年になった。

藤は一條家の家紋であり、中村市(現四万十市)の「市の花」にも指定されている。

行列には、約200人の市民が参加する。古式ゆかしい装束をつけて、2頭の馬(教房公、国司使役)、玉姫を乗せたみこしを先頭に、従者、女官、稚児たちが市街地を一周する。

従者は、すり足、差し足で歩かなければならない。慣れないかっこうを強いられ、みんなしかめ顔になるくらいだ。

よさこいは、こうした儀礼(ルール)に縛られる藤祭りとは、真逆の祭りである。

よさこいのルールは、2つだけ。
鳴子を持つことと、曲によさこい節のフレーズを少しでもいいから入れること。あとは、飛んでもはねても自由である。もちろん衣装も。

土佐一條家は、教房の息子房家を初代に100年続いたが、4代兼定が四万十川合戦で最終的に長宗我部元親に敗れ、中村のまちは長宗我部の支配に屈することになった。

私は、今年のよさこいが一條神社下の一条通や天神橋アーケードではねている姿を見て、長宗我部軍が中村に攻め入ったもようを、連想してしまった。そして、祭りのフィナーレ総踊りは、長宗我部軍の勝どきではないかと。

一條家は土佐の国司であり、当時の土佐の中心は中村であった。その後も、中央(織田、豊臣)からは、長宗我部は一條家の家臣と位置付けられていた。

 ♬~  土佐の中村 一條公さんは
     都をしのぶ まちづくり
     祇園 京町 丸の内
     中村よいとこ 中村よいまち 城下町 

「中村音頭」は、スロ~ スロ~ だ。
これに振付をした踊りも、盆踊り風で、のんびりしている。
しかし、これが、公家文化であり、中村を象徴している。

よさこいなら、全国どこのまちでもできるし、やっている。
しかし、藤祭りのような祭りをできるところは、めったにない。

地元の歴史と文化を大切に。
その土台に立ってこそ展望がある。

ミニ高知 よりも
大中村 を

めざそうではないか。(終)

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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