兼松林檎郎(高知新聞投稿)

高知新聞「声ひろば」投稿(2017.1.15)

 兼松林檎郎

 昭和南海地震で全国最多の犠牲者を出した中村では、南海地震を語る場合、先輩たちから必ずこの人の名前が出る。
 兼松林檎郎は戦後間もないころの青年団運動のリーダーであった。昭和20年8月の敗戦の翌9月、早くも中村町青年団を結成し、団長に。21年、幡多郡連合青年団、22年、高知県連合青年団へと組織を広げ、それぞれ団長に就いた。
 彼が常に訴えたのは「団結すれば立ち、分裂すれば倒れる」。
 その活動のシンボルが地震被災からの復旧支援活動であった。震災直後、道路寸断の中、高知市から海路下田に着いた救援物資は地元青年団が人海戦術で町中に運び込んだ。幡多郡下青年団もこぞって中村に救援隊を派遣した。
 被災した子どもたちのために、自分たちの手で保育園を立ち上げ、無償で自主運営。いまの市立愛育園の前身だ。
 さらに、高校に行けない勤労青年のために「幡多郡連合青年団立幡多公民高等学院」をつくり、合宿所も併設した。
 青年たちの力が希望の光となり、瞬く間に中村の町は復興した。
 しかし、戦時中から結核にかかっていた彼の命は、昭和29年、36歳で燃え尽きた。だから、いまでも伝説的に語り継がれるのであろう。
 いつの時代も青年が動けば社会が動く。いまの青年にも奮起を期待したい。

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   兼松林檎郎墓






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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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