清馬と秋水

 1月15日は、坂本清馬の42回目の命日であった。この日にあわせ、幸徳秋水を顕彰する会では、正福寺にある清馬墓に説明板を設置した。

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 坂本清馬(1885~1975)

「 父は中村の人で室戸生まれ。海南中、高知二中を中退し上京。秋水の思想に共鳴し、たびたび同居。大逆事件に連座し、1911年死刑判決を受けるが、無期懲役に減刑。1934年出獄。戦後は中村に住み、事件最後の生き残りとして、1961年森近運平妹栄子とともに再審請求の訴を起こすも棄却された。  幸徳秋水を顕彰する会 」

 清馬墓は幸徳秋水墓と同じ並びにあり、向かって右に5つ目。2人は同じ大逆事件の犠牲者でありながら、秋水には大きな説明板が立っているが、清馬のものはこれまでなかった。このため、全国から秋水の墓を訪れる人は多いが、すぐそばに清馬の墓があることを知る人は少なかった。

 清馬が再審請求裁判を起こしたことで、事件が風化し闇に葬られてしまうのを防いだ。このことの意義は極めて大きいにもかかわらず、地元でも清馬は秋水の陰に隠れていた。

2年前、清馬没後40年にあわせて、その年の秋水墓前祭は初めて清馬との合同祭とした。今後も5年に一度を目安に合同祭にすることにしている。

今回は、墓案内板だけでなく、墓地入口に建てている誘導板2枚も二人の連名に変えた。やっと師の秋水と対等の扱いになったことで、清馬はどう思っているだろうか。清馬は秋水の門人と自称していただけに、敷居が高いと思っているかもしれない。

しかし、そんなことはない。あなたは、秋水と同等の扱いを受けて当然である、胸を張って師と並んでほしいと、言ってやりたい。

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さて、いよいよ恒例の秋水墓前祭が近づいた。今年で刑死106年になる。

1月19日には、秋水および一族、祖先の墓石を高圧洗浄機で水洗いした。長年積もった苔などの汚れがきれいにとれた。これだけの墓掃除はおそらく初めてではないだろうか。

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今回は、秋水墓手前の山際に並んでいる江戸時代の俵屋関係の墓も洗浄した。幸徳家は江戸中期、大阪からやってきて、中村に以前からあった俵屋(薬種商)を継ぎ、代々俵屋嘉平次を名乗った。秋水は5代目嘉平次になる。ほとんど知られていないが、この墓石の一群も秋水の祖先である。

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墓前祭は1月24日午後0時半から正福寺で。
引き続き、午後2時から記念講演会「田岡嶺雲と幸徳秋水」(講師 別役佳代 土佐史談話会会員)も市立文化センター大会議室で開かれる。
多くの方のご参加をお待ちしています。

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田中全(ぜん)

Author:田中全(ぜん)
四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃんです。

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