夢をもう一度 -夏をめざす中村高校野球部裏話―

 中村高校のセンバツ甲子園出場が決まった。
 40年ぶりに夢がかなった。
 その40年前に書いた文章です。


 夢をもう一度 -夏をめざす中村高校野球部裏話―

 春の選抜高校野球大会が終わったあとの週刊誌は「ノンノ」「平凡パンチ」から「サンデー毎日」にいたるまで“さわやか旋風”“負けて悔いなし二十四の瞳”などと準優勝中村高校ナインを紹介した。敗者は美しいとはいうが、優勝した箕島高校の影が薄れてしまった。
 ブームとはおそろしい。きのうまで四国の田舎方言まるだしの高校生が“第二のサッシー”と言われたり、女子高校生ファンの人並みにもみくちゃにされたりするのだから。
ともあれ、あらためて中村高校の健闘をたたえたい。特に、準々決勝で優勝候補の筆頭、強打の天理高校から十三奪三振した山沖投手の快投は圧巻であった。
 中村市といえば高知県の西南に位置する人口三万四千人の小さな市であるが、これまで四国外では知る人のほうがめずらしかった。とりたてて言うべき産業もない貧しい農村である。わずかに国鉄土讃線の終着駅、足摺岬観光の出発点として知られていたにすぎない。
 私はこの中村に生まれたが、地元には大文字山があり、毎年お盆には送り火が焚かれる。また、鴨川、東山という地名もあり、市街地も碁盤の目状に整然と画されているのは、古く十五世紀に応仁の乱を逃れて落ちのびてきた京都の公家一条教房が京風に町を造った事実に由来している。
 とは言っても、やっと七年前に汽車が着くまでは、後進県高知県の中でもそのまた僻地で「陸の孤島」とまで蔑称されていた中村がわずか一日にして有名になったのだからおもしろい。これも全国津々浦々まで行き渡ったマスコミ文化の功罪か。
 地元では市長や県知事が何十億円の金をつぎ込んでも売り出せなかった中村の名をたった十二人の高校生によって、かんたんかつ完璧に売り尽くしてしまったとの風刺も聞かれたという。
 そもそも中高(地元ではこう呼ぶ)が甲子園に行くことなど夢のまた夢であった。県内では「三強」と言われる高知、高知商、土佐の三校が順番に甲子園に行き、全国的にも高知野球の強さは定評があった。この「三強」は県内各地から優秀な選手をスカウトしてきてチームを編成するのだから、郡部校はいわば二軍選手ばかり。「三強」というハイカラチームに対して、もともと中高は田舎チームであり、これまで歯がたたなかった。
 ところが今年はどうか。ジャンボ山沖を中心にアレヨ、アレヨという間に「ノンノ」に登場する始末。世の中、これほど急に運が開けることもめずらしかろう。中村では有史以来の出来事として町中大混乱したのも無理はない。私もその一人だった。
 去年ごろから「中高にノーコンじゃけんど出口(いでぐち)の子でごつう早い玉を投げるピッチャーがおる」とは私も妹から聞いていた。私の妹は中高で山沖君などと同級生である。甲子園で四番を打ち、海星高校戦でホームランを打った植木君は私と同じ小学校、中学校出身だ。幼い頃一緒に遊んでやったものである。
 このたった十二人の中高野球部は、昨年秋の四国大会で丸亀商業には敗れたものの準優勝し、センバツの切符を手にし、果ては“さわやか旋風”になるのである。
 学校ではセンバツ出場決定と同時に、応援部、ブラスバンド部を即席に結成した。在校生、卒業生の家には寄付要請がひんぱんに来た。弟も卒業生のため、私の実家にも来た。後援会は二千万円の金をやっと集めた。
 地元では、運良く甲子園に行くことにはなったが、一回戦で負けてもいいから中村の恥を全国にさらさぬよう、せめてみっともない負け方だけはしてくれるなとの願いであった。
 学校では「ハナ肇」のあだ名がついている市川監督は、テレビで見ていても一回戦の戸畑高校戦のはじめなどは緊張して泣きそうな顔をしていたのに、勝利後のインタビューでは方言(幡多弁と言う)まるだしで得々としゃべっているのだから笑止であった。
 山沖投手はピッチャーマウンドで上着をお尻からたらしたり、決勝戦では箕島打線に連打されてもニコニコ笑い、これをマスコミはさわやかと評したが、実際の彼は物事にあまり意を用いないボケッとしたタイプだそうだ。
十二人は甲子園で女性ファンに囲まれたが、高校ではあまり女生徒から相手にされず、ガールフレンドがいるのはライトで九番を打った吉良君だけであるとは私の妹の言である。もっとも私の妹も男子生徒から相手にされないようであるが、これは私の妹だから致しかたがない。妹も甲子園にずっと応援に行った。
 センバツ大会終了後しばらくの間は、中村経由で足摺岬に向かう観光バスがわざわざ中高前を迂回し、ガイドさんが「これがあの二十四の瞳の中村高校でゴザイマス」と紹介しては通過したという。この春は、中村市民みんなの頭のピントがずれてしまって、元に戻すのにかなりの時間を要したようであった。
 さて、次は夏の甲子園が近づき、夢をもう一度である。私も五月の連休に帰省した時、中高野球部の練習風景を見に行ったが、部員もいっきょに四十人近くになっていた。あの田舎チームがハイカラチームに見えたのは不思議である。私もマスコミに頭をマヒさせられたのかと思ったが、センバツ後、春の四国大会では見事優勝したのだから、センバツの活躍が決してフロックではなかったことが証明された訳だ。
 しかし、春夏連続の甲子園出場はむずかしいと言われる。夏は「三強」もたやすく勝たせてはくれないだろうし、ハイレベルの徳島県勢の壁もある。
 中高は私の第二の母校である。できることならば、再度甲子園で活躍する山沖君たちの姿を見たいものである。
ガンバレ中高!!
                        (昭和五十二年六月)
(追記)
勝負の世界は皮肉である。七月十六日開幕の高知県予選一回戦で、中高はいきなり「三強」の高知商と対戦し四-五で惜敗した。シード制をとらない高知大会では有力校同士が初戦でたたかうケースが多い。
試合後、市川監督は「選手には野球だけが人生じゃないことを教えてやりますよ、アユ釣りにでも行って」と語ったという。これが普通の高校生の姿なのだ。またいつの日かの捲土重来に期待しよう。
                    (七月十七日、朝日新聞を見つつ)


農林中央金庫従業員組合大分支部『河鱸(どんこ)』創刊号(昭和五十二年十月)
田中全『わがふるさと中村』(2008年)に再録
                          

コメントの投稿

非公開コメント

No title

懐かしい記憶が戻ってきました。私は中村高校のOBですが、校歌をテレビで聞いた時は、涙がとまりませんでした。それにしても田中さんは25才にして、こんなすばらしい文章をかいていたのですか。参りました。

二十四の瞳

懐かしかった。12人はモテなかったの?私は今も12人にラブです😌💓
9番ライトは田野高さんですよ😄
吉良さんはショートですよね
12人に、会いたい‼️😍😍😍
一番セカンド田頭君、二番ファースト野村君のファンでした❗田頭君には一度会った事があるけど、野村君に会いたい‼️
今年、キャッチャー押川君が亡くなってる事を知ってショックでした❗
今年のセンバツは最高でした❗
40年前の12歳に戻れました❗
今年は、やまたい君のファンです。
これからも、中高頑張って👊

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR