中村と四万十

(6年前に書いたものです) 

 ふるさと中村を離れて久しい。高校を出てからは東京での生活が中心であったが、就職後は九州から北海道まで転勤も経験した。各地で自分の出身地をきかれると、自信をもって「高知県の中村です」と答えた。中村を知らないという人には、京都のお公家さんがつくった町で「土佐の小京都」と言われ、高知市よりも歴史が古いと胸を張った。勝手な自己満足かもしれないが、私のこだわり、誇りであった。

 昭和五十二年、中村高校が甲子園で準優勝してしばらくは「あの高校野球の・・・」と言ってくれる人がふえた。その後、最後の清流ブームが押し寄せてきてからは「あの四万十川の・・・いいところですね」と、こちらがいちいち説明する必要もなくなった。

 私の実家は四万十川の河口近くで、子供の頃、夏は一日中、真っ黒になって泳いだり、魚を釣ったり、シジミを掘ったりした。どの家にも川舟があり、川は生活の場そのものであった。地元ではホンカワ(本川)と呼んでいたが、この川が有名になりテレビなどに登場するとうれしくてたまらなかった。職場で私の四万十川自慢、ふるさと自慢は評判になり、上司・先輩から「よー、四万十川」とからかわれたりした。

 いまや四万十川を知らない日本人はほとんどいない。全国ブランドになった。しかしながら、最近の私は四万十川の話題を振られても「昔はもっとよかったけれど・・・」とあまり深入りしないようにしている。地場零細企業が急成長し全国展開のために本社を東京に移し地元色が薄れるというか、自分だけのものと思っていた宝物をいつのまにかみんなが手に入れてしまったことを知ったあとのむなしさのようなものであろうか。以前のようなときめきが今ではなつかしい。

 二年前に中村市が四万十市になった。平成の大合併という激流の中で、合併の是非は措くとしても、なぜ中村の名前を残せなかったのだろうか。合併で市の名前が変わろうとも、中村の町がなくなったわけではないし、ほかにも新しい名前の市や町がたくさんできているではないかという人がいる。

しかし、四万十市の場合、多数合併ではなく、西土佐村とだけの合併でしかも規模からすれば、高知市が春野町を編入するのに市の名前を変えるようなものである。西土佐村の人たちも同じ生活圏である中村というなじみ深い名前に抵抗はなかったはずである。

 ふるさとの人たちは、自分の市の名前が全国ブランドになったことを本当に喜んでいるのだろうか。私は、四万十川がいまほど全国に知られていないときにこの名前になったのなら、これほどの寂しさは感じなかったであろう。ふるさとを離れた人間にとって、ふるさとの呼び名が全国ブランドに変わることは、自分という存在の原点が拡散してしまうようなものである。しかもその後、隣に四万十町もでき、地元同士でふるさとを曖昧模糊にしてしまったように思う。
 
 中村も四万十も私にとってかけがえのないふるさとであり、ともに大切に思う気持ちに変わりはない。しかし、いまでは二つの言葉の響きには大きな違いがある。
 
 いま私は、中村を紹介するのに苦労した頃をなつかしく思い出している。中村はローカルブランドのままでいつまでも地元に深く根を張っていてほしい。ナンバーワンでなくオンリーワンがいい。私はこれからも中村出身ということにこだわっていこうと思う。


高知新聞「月曜随想」2007・9・3
田中全『わがふるさと中村』所収

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
幸徳秋水を顕彰する会事務局長。
FB(フェイスブック)もやっています。

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