続々 西村ルイのこと  秋水最初の妻(2)

 ところで、黒木訪問に先立つ今年一月末、私は大逆事件犠牲者追悼集会に参加するため上京した。そして集会の翌日、「秋水の孫」に会った。

 秋水とルイの間に生まれたハヤ子(横田姓)は小谷清七と結婚し六人の子を育て上げた。このうち男四人はすでに亡いが、女二人はいまも健在。

 私は集会に参加していた横田みつゑさん(ハヤ子の横田家側孫の嫁)にお願いして、埼玉県草加市の小谷家(実家)の近くに住む、六人の中で一番年上の真野寿美子さんのお宅に案内してもらった。

 寿美子さんは若いころはさぞかし美人であったろう。小柄で気品がありもの静か。かすれた小声で祖母(ルイ)からも母(ハヤ子)からも秋水のことは「ほとんど聞かされていないんですよ」。

 家族の間で秋水の話はタブーであったのだ。しかし、これまで知らなかった家族の話をいろいろ聞かせてもらった。古い写真も出してきてもらった。昭和十八年の写真を見ると、ハヤ子と寿美子さんの黒くて鋭い眼は秋水そっくりであり、ドキリとさせられた。

 私は辞する時、「一度おじいさまのお墓参りに来られませんか」とお誘いをした。しかし、寿美子さんは九十歳(大正十四年生)という高齢のうえ、病気のあとで体力も十分でない様子から、とても中村までの長旅は無理であろうと思ったし、寿美子さんからも特段の反応はなかった。

 その後も電話でのやりとりは何度かあったが、四月中旬になって、寿美子さんの夫から手紙が届いた。そこには、体が動くうちに「長年気になっていたこと」を果たしたいという寿美子さんの気持ちが書かれていた。

 寿美子さん夫婦は、妹の犬竹比佐子さん(昭和十六年生、七十四歳、東京都新宿区)夫婦を誘い、五月十日、四人で見えられた。

 私は雨の中、高知空港に迎えに行った。寿美子さんは、車いすに乗ってゲートから出てこられた。同じ飛行機で、幸徳正夫さん(秋水義兄駒太郎ひ孫)と大岩川嫩さん(大逆事件の真実をあきらかにする会)も来られた。

 十一日、雨もあがり、一行が泊まっていたロイヤルホテル裏の正福寺秋水墓に、幸徳秋水を顕彰する会有志で案内した。

 孫二人は「祖母を会わせたかった」とルイの写真をもってきて秋水に対面させた。幸徳家は神道。榊と花を差し、水をかけ、お米をパラパラと撒いてもらった。それからじっと手を合わせた。

 墓前で幸徳正夫さんが幸徳家を代表して挨拶し、秋水がルイと離縁するにさいしての非礼を詫びた。墓の中で秋水は神妙に聞いただろうか。照れ笑いをしていたかもしれない。

 ホテルロビーで新聞記者からインタビューを受けたあと、為松公園の秋水記念碑(絶筆碑)、郷土資料館、図書館秋水資料室、生家跡なども案内した。

 ホテルで歓迎昼食会を行い、夜は「常連」でアユ、ウナギ、かつお塩たたきなど、「おじいさん」のふるさとの味を楽しんでもらった。みなさん、めずらしい料理に驚きながら、舌鼓を打っていた。

 十二日、新聞各紙に記事が大きく載った。

 午前中、佐田沈下橋にご案内。快晴になり、空の青と川面の青がまぶしかった。気持ちいい川風。一行を歓迎するように帆をかけたセンバがのぼってきたので、めずらしそうにカメラにおさめていた。

 姉の寿美子さんは川を眺めながら、「こんなに山が多いところとは思わなかった」「遠かったが来て本当によかった」と、しみじみと言われた。

 妹の比佐子さんも、「秋水のことは身内と思っているので、地元のみなさんが秋水をこんなに大事にしてくださっていることはありがたく、これをご縁にいろんな関係が深まればいいと思います」と。

 午後、空港まで送り、一行は東京に帰って行った。
 秋水が刑死してから一〇五年。

 「秋水は身内」・・・恩讐を超えた墓参により、秋水生涯の汚点に一つのけじめがついたように思う。 

 私は胸のつかえが下りた気持ちであり、四人には心からお礼を言いたい。

 寿美子さんには子供はいないが、比佐子さんをはじめ四人の弟たちには、あわせて十人の子供(秋水のひ孫)がいる。さらにその下の子供たち(玄孫)たちも。

 今後はこした人たちとの交流も広げていきたいと願っている。

 (終)

 「文芸はた」創刊号 2016.12

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
幸徳秋水を顕彰する会事務局長。
FB(フェイスブック)もやっています。

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