角道謙一と住専問題

角道謙一さんが亡くなった。86歳であった。
私が30年間仕事をした農林中央金庫の元理事長である。

 角道さんは大阪生まれの海軍士官学校出。農林省(農水省)で事務次官を務めたあと、農林中金に迎えられた。野武士を思わせる白髪がトレードマークで、職員3千人の組織のトップとしては異色の、きさくで物腰の低い人であった。

 角道さんが理事長に在任された1991~2000年は、いわゆる住専問題で日本が揺れた時期と重なる。農林中金を頂点とする農協系統金融システム(農協→各県信連→農林中金)が世論やマスコミからの集中攻撃にさらされたが、角道さんは、その中にあってわれわれの立場を断固として主張し、農協組織を守りきった人である。

 住専問題については、もはや忘れてしまった人も多いと思うが、問題の本質は、バブル経済をつくりだし、その収束にもつまづいた当時の大蔵省が自らの金融政策の失敗の責任を、農協系統金融システムの問題に転嫁をするという、一大演出であったといえる。
 
そもそも住専(住宅金融専門会社)とは、1970年代、大蔵省が主導して銀行等に子会社としてつくらせた会社であり、銀行等と同じ大蔵省直轄の金融機関という法的位置づけであった。当時は住宅建設が盛んだったにもかかわらず、銀行はまだ住宅ローン等の個人ローンには積極的でなかったことから、住宅ローンを専門に行なう別働隊としての子会社をつくらせたのである。そのトップには大蔵省のOBがこぞって送りこまれた。

住専は、会社名で言えば、日本住宅金融、住宅ローンサービス、地銀生保住宅ローンなど、当時の分類で、都銀、興長銀、信託銀、地銀、相銀、生保、証券など、業態ごとの共同出資で計8社つくられた。一番最後にできたのが、農協系統グループによる協同住宅ローンであり、私はその設立(1979年)にかかわり、最初の出向メンバーになった。

各社とも出だしの業績は順調であったが、その後、母体行である銀行本体が住宅ローンに本格的に取り組むようになってきた、つまり親が子の領分に手を出してきたことから、住専各社は、やむなく本来の個人ローンから徐々に不動産開発案件等をてがけるようになり、その時期が、バブル経済時期と重なった。地価がドンドン上がり、世の中、狂ったように不動産投資が行なわれた時期である。

そうした中、政府は不動産投資の過熱化を抑え、地価の沈静化を図るため、各銀行に対して不動産融資の総量規制に乗り出した。しかし、住専と農協系統をその対象からはずしたのである。

住専各社の資金調達は、母体行からの借り入れを基本としていた。しかし、母体行からだけでは足りず、徐々に他業態からの借り入れも増やしていた。農協系統は恒常的に資金余剰であったことから、住専は格好の融資先であった。

農協(各県信連、共済連など)にとっては、住専は大蔵省が直轄する信用度の高い安全な融資先であり、銀行と同じ位置付けであったことから、この総量規制を機に、農協→住専へと大量に資金が流れたのである。資金の蛇口をこのような方向に向けたのは大蔵省であった。

ほどなく住専の巨額の不良債権(総額6.4兆円)があぶりだされることになる。これをどこが負担するかが大きな社会問題になった。

借りたカネは返す。住専にそれができないのなら、株主である親会社(母体行)が肩代わりをするのが当然である。子の不始末は親がみる。これが社会の常識である。しかも、信用が第一の銀行がその責任を果たさなければ、世の中の秩序というものが崩れてしまう。これが、農協側の主張であった。

これに対し、銀行側の主張は、借りたほうも悪いが、貸したほうも悪い。応分の責任を取るべきだという、子の不始末に頬かむりをするものであった。

政治も巻き込んだ調整が行なわれ、母体行に重いが、農協も負担をするという方向でまとまった。しかし、双方がどうしてもこれ以上は負担できないという額として6850億円が残った。

1996年通常国会は住専国会と言われたほどに揺れた。結局、この額は、日本の金融システムを守るという観点から、公的資金を注入する、つまり国民の税金を投入するということで決着した。そのさい、政府(大蔵省)がさかんに言ったのが、農協を救済するためにはやむをえないということ。農協を悪者にしたのだ。借金を踏み倒す者よりも、貸した者が悪いということだ。マスコミもそれに乗って、大々的な農協批判キャンペーンを行なった。世論もそれになびいた。

角道さんは、国会に参考人として呼ばれ、喚問を受けた。同時に呼ばれた銀行代表(全銀協会長、富士銀行頭取)は、弁舌さわやかに銀行の言い分を述べた。しかし、角道さんの言葉は決して流暢ではなかった。ぼそぼそ、トツトツと。普段通り、歯がゆいほどにゆっくりと質問に答えていた。

言葉の重さというものは、流暢さとは別物である。どれだけ理屈が通っているか、また発言者がどれだけ信念をもっているか。その差は歴然としていた。

 住専8社は1社(協同住宅ローン)を除き、破綻処理された。農協系統グループの協同住宅ローンは、他住専同様、相応の不良債権を抱えていたが、どこにも迷惑をかけず、自力で再建をなしとげ、いまも営業を続けている。

 金融機関の破綻処理に公的資金が投入されたのは、日本ではこの時が初めてであったことから、6850億円という額に、みんなが驚いた。しかし、その翌年(1997年)には、山一証券と拓銀、翌々年には、長銀、日債銀の破綻などが続いた。その他、経営安定化のための資金を含めると、何兆円という規模の公的資金が次々と投入をされたことは記憶に新しい。

 これに並行して、金融界の再編淘汰はすさまじいものがあり、たとえば当時の都市銀行はどこも残っていない。都市銀行という分類もなくなった。いまでは、東京三菱UFJ、みずほ、三井住友が3大メガバンクと呼ばれている。

 金融界の再編はとどまるところを知らない。次の波がやってくるのも時間の問題であろう。そうした中、あれからまだ17年なのに、住専問題のことは、霞の中に消えかかっている。

 しかし、金融機関の大義が問われた巨大な渦の中で、筋を通した人がいたことを、私は忘れない。

 角道謙一さんに合掌。

コメントの投稿

非公開コメント

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
幸徳秋水を顕彰する会事務局長。
FB(フェイスブック)もやっています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR