大分へ(2)

 戸次から判田を通り、大分の中心部に入る直前の敷戸で、西寒田(ささむた)神社を示す道路標識が目に入った。同神社は藤で有名。ちょうどいまが花の見ごろだなと思い、立ち寄った。バッチリ満開であった。

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いよいよ市街地に入る。まず、以前住んでいた上野町の社宅跡に向かった。国道10号古国府交差点から左折し上野の山を越えたところ。右折すれば滝尾自動車学校、私が運転免許をとったところだ。

山の上には大分上野ヶ丘高校(旧制一中)がある。その近くに、大友館跡があるので、いったんそこに車を止めた。

大友家は臼杵に本拠を移す前は、ここ府内(今の大分市)を拠点としていた。府内を見下ろすところに館跡の一部が残っている。昔来た時の記憶よりもずいぶんと小さいもので、住宅地の一角に石碑と標識があるだけであった。

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山を下りたところに上野中学があり、その校庭に面したところに社宅があった。場所はすぐわかった。当時ここの独身寮に住み、自転車で10分ほどの職場まで通った。休みの日の早朝、職場の野球部の練習のため勝手に中学グランドを使ったりしたものだ。

いまは、社宅があった場所には高層マンションが建ち、テニスコートはその駐車場になっていた。隣の若宮八幡宮はそのままであったが、マンション南側には駅裏方面に伸びる広い環状道路ができており、様変わりであった。

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大分市役所前にあった職場(農林中央金庫大分支店)も近くのビルに移転していた。跡地は更地になっていた。社宅といい職場といい、以前の姿が見られないのは寂しいものである。いま転勤職員はみんな借り上げマンションに住んでいるときく。

朝5時に臼杵港に着いたので、いつもと違い昼までが長い。あちこち思い出探しをしているうちに、やっと11時になった。この旅の第一の目的、中央町のフンドーキン会館に着いた。

私は大分時代、地域の合唱団に入っていた。というとかっこういいが、合唱団といっても、うたごえサークルだ。いろんな職場の人間が集まって、フォークソングなど好きな歌をうたう。

最初は大分うたう会と称していたが、そのうち「あめんぼ」と命名した。会はいまも続いているが、それから40年たつというので、当時の古参メンバーが中心になって、40年記念のうたごえ喫茶をやることになった。そこに来ないかと私も誘われたのだ。

当時のメンバーは私を含め男は髪が白くなり、女性は体型が変わり、孫の世話に追われている者もいるが、気持ちは昔のまま。

会場は約100人で熱気ムンムン。配られた歌集の中からリクエストを受けて、次から次へとみんなで歌う。「青春」「若者たち」「切手のない贈りもの」「故郷」・・・午前11時から午後2時過ぎまで、ぶっ通しで歌った。私は一番好きな「たんぽぽ」をリクエストした。

フィナーレは、「翼をください」「遠い世界に」の大合唱となった。

一息入れたあとは、中心メンバー約20人での打ち上げ。延々夜遅くまで続いた。初日は長い一日なった。(続く)

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
幸徳秋水を顕彰する会事務局長。
FB(フェイスブック)もやっています。

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