雲がちぎれる時

 伊豆田峠の中腹に最初のトンネルができたのが昭和三十四年。私は小学校一年生だった。当時としては驚くほどに長いトンネル(368m)ができたということで大騒ぎになり、父と兄弟でバスに乗って見にいったことを覚えている。

 その後、平成六年、麓にさらに長いトンネル(1670m)が貫通してからは、峠道は坂というほどの坂でなくなった。今ではアッと言う間に通り過ぎてしまう二車線の快適区間になった。

 私はこの九月、車で久方ぶりに葛篭山(テレビ塔)に登ってみた。いまのトンネルの手前を右に旧道に入り、しばらく登ると入口が塞がれてしまった旧トンネルにぶつかる。その右側に、石がころがるデコボコのひどい山道がある。これが旧々道で、途中で切り抜きを右に曲がって清水方面に向かっている。まっすぐ進めばテレビ塔だ。

 この旧々道を以前はバスが通っていた。切り抜きで車を止め、少し先を歩いてみたが、草木が茂り、とても前に進む勇気はなかった。清水側の市野々にも回り、そちらの登り口からも車で上がってみたが、途中木が倒れ、道を塞いでいた。

 トンネルができるまでの峠道とは、どんな道だったのだろうか。その頃を私は知らないので、映画「雲がちぎれる時」をDVDで観てみた。昭和三十六年の松竹作品で監督五所平之助、脚本新藤兼人。伊豆田峠でのバス転落事故を題材にしたもので、実際にバスを落としたロケが話題になった。私は中村の中劇でこの映画を観たことをかすかに覚えている。

 この作品は、昨年秋、市が企画した「映像の幡多上映会」でも、「祭りの準備」「足摺岬」「孤島の太陽」「四万十川」とともに候補にあがっていた。

 主演はバス運転手役の佐田啓二。相手役が二人おり、幼なじみの有馬稲子と車掌の倍賞千恵子(この時デビュー直後の二十歳)。佐田と倍賞は純愛関係にあったが、以前佐田と深い関係にあった有馬が地元(清水)に戻ってきたことから、佐田の心が揺れる。その葛藤の中で、過去のドロドロとした有馬との関係が浮かび上がり、それが映画の主題になっている。

 結局、有馬が再び去り、佐田の心が賠償のもとに戻り、結婚を約束した直後、トンネルが開通する前夜の最終便を運転する二人のバスが伊豆田峠から転落する。倍賞は佐田に抱きかかえられ奇跡的に助かるが佐田は死ぬ。峠で二人の愛がちぎれてしまうという悲劇で終わる、暗い映画だ。

 ロケは県交通の協力をえて、主に清水を舞台に行なわれた。伊豆田峠の断崖絶壁の道の映像が随所に出てくる。よくもあんな険しく狭い道をバスが通っていたものだと驚く。県交通中村営業所のなつかしい風景も映っている。

 私は今回はじめて映画の原作、田宮虎彦『赤い椿の花』も読んでみた。田宮の作品にしてはめずらしい長編だった。映画では脚色され、佐田と有馬の男女の絡みが軸になり、倍賞は脇役のような存在になっているが、原作は田宮自身が「あとがき」に「けわしい山道を走るバスの運転手を」書きたかったとあるように、命を削るようなきびしい労働環境にあるバスの運転手と車掌の物語であった。

 地元では話題を呼んだこの映画も全国的にみれば、当時もその後も高く評価されることもなく、今では埋もれた作品といえるのだろうが、昭和三十年代、地方においてバスが果たしていた役割を映した記録としてみれば、貴重な歴史資料になると思う。

 当時、バスは生活の主役であり花形であった。子どもにとって、バスに乗って中村に行くことは一大イベントだった。実崎の停留所でバスを待つ時の気持ちの高まりと乗ってからの期待、不安。満員で通過されることもたびたびで、その都度、大人たちが臨時を出せと言って騒いでいた。車掌は外にぶら下がっていた。帰る時は、県交通で先を争って席を取り合った。

 いまの子どもたちは、バスの車掌も、あのピッピッピと鳴らす笛の音も知らないのだろう。私にとって「おまち中村」の思い出は、あの満員バスと重なる。

 実際にバスの転落事故も多く、昭和三十二年、伊豆田峠で大方町伊田婦人会の人たちを載せた足摺行き貸し切りバスが落ち、運転手を含め五人が死亡。伊才原や佐田でも落ちた。どこも狭くてギリギリの道だった。

 当時県交通の運転手だった二人に話を聞いたが、伊豆田峠は中村―清水線が幹線だったので楽な方で、本当に怖かったのは富山の大用、竹屋敷方面や大正に抜ける杓子峠だったと言っていた。

 この映画の三年後、佐田啓二は山梨県で実際に車事故に遭い命を落とした。奇しくもそのあと追うように、映画で佐田のエキストラ役(顔は映らない)をつとめた運転手も病気で亡くなったという。佐田にとっても関係者にとっても因縁の映画になった。

 ちょうど九月七日、佐田啓二の娘、女優中井貴恵が絵本の読み聞かせの会で中村に来ていた。中村は初めてだというので、私は文化センターの会場で、お父さんの縁もあるので、今後も幡多、中村をよろしくとお願いしておいた。


「文芸なかむら」27号
 2013年12月

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こんにちは。私はまだ25の若造ですが、この映画を見ました。私は古い使われなくなった道路に興味があり、数年前に古い原付に跨がり、峠を目指したことがあります。その時は何とか通り抜けできたのですが、斜面や路肩は崩れてましたし、草ボーボーというか、道の真中に若木が育って通せんぼしている状態でした。映画を見たのはその後でした。主に資料を目的としてでしたが、あの山道にこんな時代があったのかと驚きました。それからしばらく経った一昨年の秋、久しぶりにその峠を訪れたところ、綺麗に整備されなおされ、自動車で苦もなく通過できるようになっていました。当時の苦労とは比べられないと思いますが、バス運転手の気持ちになれたような気がしました。
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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