小樽と兆民、秋水

 今回、北海道へは、6月6日9時に車で家を出て、途中兵庫県篠山市の丹波立杭焼の里に寄ってから、23:50発舞鶴からフェリーに乗り、翌日20:45小樽に着いた。

21時間を要する船旅は心配無用、快適であった。曇天であったが、波は静かで、船は時速60キロで滑るように進んだ。船内で朝風呂に入った。レストランも広く、ホールではフルート演奏もあった。映画の上映も(見なかったが)。

困ったことと言えば、海上はインテ―ネットが通じないこと。当然といえば当然であるが、想定外であった。能登半島沖~奥尻島沖までの間が圏外。タブレットが体の一部になっている現状では、体に違和感を生じた。しかし、せっかくの非日常の海の上だから、ネットからも解放されたのはよかったと思う。

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小樽上陸後、運河前のホテル泊。翌日は、市内で行きたいところがあった。明治時代の中江兆民、幸徳秋水の足跡と、小林多喜二の墓である。

幸徳秋水を顕彰する会役員で友人の堂端直哉さんから、いろいろ教えてもらったからである。堂端さんは小樽出身で高知大学を卒業後、いま四万十市在住である。郷土へ熱い想いと、誇りをもっている。

中江兆民は自由党土佐派の裏切りにあって政界を去ったあと、明治24年(1991)7月、小樽で創刊された新聞「北門新報」の主筆として招かれた。招いたのは、当時小樽を代表する実業家で政治家でもあった金子元三郎であった。

しかし、兆民は腰が落ち着かなかったようで、半年ほどで東京に帰り、翌年戻って来たが、まもなく退社。その後、札幌に移り、紙問屋や山林事業を手掛けたが、いずれも失敗した。

こうしたことは、後に弟子秋水が「兆民先生行状記」に書いている。民権運動家で学者、文筆家であった兆民の多彩な顔として。

しかし、兆民の小樽、札幌での足跡=場所は、はっきりしていない。ただ一つ金子元三郎商店の古い建物だけが、観光客でにぎわう堺町通りの一角に残っていた。レトロな雰囲気で小樽市指定歴史建造物指定。現在は、ジュエリー店が入っていた。

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ただし、北門新報がこの建物の中で出版されていたかどうかは、わからないという。詳しい記録が残っていないのだ。

 秋水については、詳しい記録がある。秋水は、日露開戦の前年明治36年(1903)8月、理想団札幌支部、同小樽支部の招きで札幌、小樽を訪れ、講演をしている。

当時、万朝報の看板記者であった秋水の来道はトピックスであったのだろう、小樽新聞に記事が載っている。

「幸徳氏の来札・・・札幌理想団支部の招請により漫遊旁(かたがた)幸徳秋水氏は昨日来札せるが本日午後五時より禁酒倶楽部に於て札幌支部の臨時大会を開き氏の講和を聴問する由」(8月9日)

「社会主義演説會・・・幸徳氏来札に付き一昨九日午後一時より禁酒倶楽部に於て社会主義演説會を開きたるが竹内餘所次郎氏「現時社會の弊害」、幸徳氏「社会主義の現況」、なる題下に各社會主義の有望多福なる所以を演じ三時頃閉會し終りて豊平館に於て理想団支部の晩餐會あり廿餘名の参會ありしと云う」(8月11日)

「理想団の幸徳氏招待會・・・理想団本部より幸徳秋水氏来樽せるを以て小樽支部にては昨日午後五時より氏を色内町精養軒に招待し晩餐会を開き社会主義に関する氏の談話を聴取したる由」(8月11日)

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また、秋水が小樽から「在京同志者宛」に8月11日付で出した手紙も「秋水全集」第9巻に収録されている。

その中で、秋水は「・・・全体北海道は新開地の事とて、土地、森林、市区などに関し未定の問題多く、社会主義的政策実行においても有望なり。かつ旧来の慣習階級など少なく、真個激烈の自由競争なるがゆえに、将来社会主義の蔓延盛なるべきは明白なり」と書いている。

理想団とは、明治34年(1901)、社会改良、救済を目的に組織された団体で、まだ穏健なサロンのような集まりであったが、日本で最初の社会主義を胚胎した団体であった。呼びかけ人は、万朝報に集っていたメンバーが中心で、社長黒岩涙香ほか幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三らであった。

理想団支部が、札幌、小樽にできていたように、北海道ではこの運動が全国に先行していた。実際、秋水の予想通り、後に秋水らが発行した平民新聞の読者数でも北海道は全国上位を占めていたという記録がある。

秋水が晩餐会に臨んだ小樽精養軒があった色内町は今も同じ町名で残っており、今の場所でいえば、旧たくぎんビル前の小樽運河バスターミナルあたりではないかと、先の堂端直哉さんは言っている。

小樽新聞記事も、堂端さんが今年になって帰省し、小樽市立図書館で発見したものである。

小樽運河バスターミナルは、運河のすぐ近くで、写真の通り、堺町通り入口にあたるところ。外人(東洋系)観光客でにぎわっていた。秋水はここに来たのか。

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秋水がやって来た明治36年ごろの小樽といえば、のちに「北のウオール街」といわれる北海道の金融の中心として発展途上にあったころである。

なお、後に秋水らが処刑された大逆事件では、24人が死刑判決(うち12人無期懲役に減刑)を受けたが、ほかに2人が有期刑となった。そのうちの1人、新田融(懲役11年)の逮捕時の本籍は小樽(北海道後志国小樽区稲穂町14)であった。

新田は宮城県仙台市生まれ。逮捕時は長野県明科。小樽にいたのは日清戦争出征時義兄方に一時住んでいたことがあるだけで、生活歴はなかったに等しい。新田は社会主義者ではなかったが、事件に巻き込まれた。しかし、当時「逆賊」の一人とされたことで、小樽新聞では、その名が大きく出ている。

ところで、秋水の本名は伝次郎。
この名をもらった、わが家のパグ犬伝次郎も今回、北海道に連れて来たが、小樽運河前ではビクビクドキドキ。2歳半では、まだまだ名前負け、修行が足りないなあ。

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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