一條兼定公

 このほど(12月3日)、一條兼定公の廟(墓)を宇和島沖に浮かぶ戸島に訪ねた。

 兼定公は土佐一條家の第4代御所さま。長宗我部元親の諜略により中村から豊後臼杵に追放された後、キリシタンとなって失地回復をめざしたが、渡川合戦でも再び敗れ、ここに逃げ延び最期を迎えた。

 墓は港を見下ろす山の中腹、龍集寺という浄土宗の寺にあり、住職さんに案内してもらった。島人によって造られた立派な廟の扉は、ドン・パウロの洗礼名をもつ兼定公にふさわしくステンドグラスになっていた。仏教の寺の中に立つキリスト教会というふうで、謎の多い御所様にはふさわしく思えた。

 戸島は面積わずか2.4平方キロ、人口約4百人の小さな島であるが、ハマチなどの養殖業が盛んで活気があり、小学生23人、保育園児18人いるという。主産業がある強みである。

 本家中村では毎年一條大祭(いちじょこさん)を行なっているように、戸島の人たちも、兼定公をいまでも宮さま、一條さまと呼んで、毎年欠かさず島をあげて法要を行なってくれている。一條家を通した幡多と南予の歴史的つながりの深さであろう。

 中村に羽生小路があるように、島には宮下小路、寺町小路の名もある。ここには中村よりもさらに小さな京都が残っていた。

 来年7月は兼定公四百三十回忌。ぜひ再訪したいと思う。


 高知新聞「声ひろば」
 2013.12.22

(戸島には宇和島港から高速船で約50分で行けます。)

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一條家の格

戸島の人は兼定卿のことを「宮さま」と呼ぶそうですね。また終戦後に占領軍として愛媛に駐留した英米軍の士官も戸島を訪れ兼定卿の墓にお詣りしています。一條家の家格 はそれだけ大きいのです。幡多の人達はそのことをよく知らないですね。
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
幸徳秋水を顕彰する会事務局長。
FB(フェイスブック)もやっています。

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