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幸徳幸衛の家族たち

前号で書いた画家幸徳幸衛の生涯については、幸衛母方(木村家)の従弟木村林吉が書いた『眼のない自画像』(2001年、美術の図書三好企画刊)に詳しい。

私は木村著を読んで以降、幸衛がアメリカに残した家族がその後どうなったのかずっと気になっていた。

幸衛は大正10年、31歳の時、ロサンゼルスで高橋松子と結婚。松子は日系二世で英語がしゃべれるので重宝がられ、早川雪舟が手掛けていた米国映画の脇役などに出ていた女優であった。すぐに明子、光が生まれ、ささやかな幸福をつかんでいた。パリへ送られてきた、幸衛の身を心配する松子の愛情あふれる手紙が何通も遺品の中に残されている。

しかし、幸衛はパリで旅券を二度も紛失し、アメリカへ帰ることがかなわないまま一人シベリア経由日本へ帰る。どんな思いだったのか。朝鮮からは特高警察の尾行がついた。

木村はアメリカに捨てられた形となった家族のその後のことは触れていない。幸衛の縁者で幸衛遺品を所蔵しており、このほど県立美術館に寄贈した田中和夫氏によれば、木村は幸衛家族の消息までは調べなかったようであり、田中氏自身も知らないという。

私は今回の展示を機に、その消息を知りたいと思った。各方面に問い合わせた結果、現在ロス在住の光の息子Russellタカシヤマザキ(64歳)にたどりつくことができた。タカシは日本語が話せないので、少し話せる妻(日系)から電話できかせてもらった話は以下のようなものであった。

夫が日本に帰ってしまったMartha松子は、やむなくヤマザキと再婚。新たに男の子も1人できた。しかし、日米開戦により一家は敵国人としてアリゾナキャンプ(収容所)に入れられた。さらに45歳のころ夫が交通事故死。50歳の時、3度目の結婚をカワムラとした。晩年も明るく、よくしゃべり、孫タカシの結婚式ではダンスも踊った。1997年、97歳で没。

その3年前には、ロサンゼルスタイムズのインタビューで「私の最初の結婚は見合い(arranged)であったが、うまくいかなかった(less than satisfactory)」と語っている。

Robert光はアリゾナキャンプから米国陸軍情報部(MIS)へ入り、戦後まもなく東京へ。部隊ははっきりしないが、通訳や翻訳の仕事をしていたというからGHQではないだろうか。

東京に13年いる間に結婚、二人の子(ミツノ、タカシ)が生まれた。帰国後は政府関連のエンジニアの仕事をしていた。2007年没。墓はロスの軍人墓地にある。

光の姉Dolores明子はロスで暮らしていたが、夫ヤマシタをガンで失ってからは、次のパートナーとハワイへ。長い間リューマチを患い、最後は車イス。2000年没後はハワイ大学に献体、1年後海に散骨された。娘一人がロスにいる。

妻子三人の中で光だけが中村の父の墓を訪ねている。最初は東京からひそかに。二度目は1980年、ロスから家族で。光は自分らを捨てた父に対してどんな思いだったのだろうか。中村在住の田中和夫氏等の縁者には接触しなかったようで、秋水顕彰会の記録にも残っていない。

しかし、このほど高知市在住であった幸徳富治娘池三春(2010年没)の家族に聞くと、三春は生前アメリカのヤマザキと交流があり、チョコレートなどが送られてきたことがあったという。また、東京在住の秋水姉寅(牧子)の孫今井君代(1985年没)の家族からも同じ話を聞いた。ヤマザキとは光のことだろう。きっかけは1980年来日のころではないかと思われるが、詳しい経緯はわからない。

今回調査中、“KotokuYukie” http://www.72note.com/yukie/yukie.html なるWebsiteを見つけた。松子の姉の孫RickTagawa(ニューヨーク在住)が制作したもので、戦後の松子、光、明子などの写真がアップされている。ぜひアクセスされたい。

 今回一番驚いたのは光が米軍に入隊していたこと。かつて秋水は将来の日米戦を予想したが、まさか自分の身内が米軍に入るとは思っていなかっただろう。歴史のいたずらか。

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   幸衛と松子       Robert光       木村林吉著


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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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