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徳富蘇峰の中村

中村の一條神社昭和五年参拝記帳簿に徳富蘇峰(猪一郎)夫妻の名前がある。

蘇峰といえば、戦前日本を代表する国粋ジャーナリスト、文化人であり、戦中、日本文学報国会会長、大日本言論報国会会長に就き、文化勲章もえている。
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そんな「大物」が何の目的で中村に来たのか。宮司はわからないという。

もしや、幸徳秋水の墓を訪ねたのではと思い、蘇峰の年譜を見たが、ない。

徳富蘇峰記念館(神奈川県二宮町)に照会すると、さすがわかった。蘇峰著「読書人と山水」(昭和七年民友社刊)に書いているという。

蘇峰は文久三年(一八六三)熊本水俣に生まれ、昭和三十二年九十四歳で没したが、長い生涯多くの旅をしている。その旅日記をまとめた本である。

追って、公文豪さんからも当時の大阪朝日新聞高知版に消息記事が出ていると教えてもらった。

昭和五年二月、蘇峰会なる組織が東京青山会館で発足し、各県支部結成の動きが広がっていた。蘇峰は大著「近世日本国民史」を執筆中であったことから、資料調査を兼ねて、支部結成式、記念講演会に臨んだ。

招待した主体は各地の歴史愛好者(郷土史家)たちであった。同年十月から十一月にかけて、九州、四国、関西をぐるり回った。

十一月二日、別府から船で松山へ。蘇峰会愛媛支部発足式出席。車で今治、大洲、八幡浜を経て宇和島を発ったのが八日朝。
三間、江川崎から窪川を大回りして午後三時中村着。宿毛および口屋内ルートは悪路で通れなかった。「政黨の軋轢の結果、改修が出來ない」と聞かされた。

窪川で土佐史談会寺石正路会長、松山秀美副会長ほかが出迎え。中村に入る手前では柴崎幡多支庁長、生城町長らも。

すぐに一條神社に参拝し(この時記帳)、奥御前宮、一條教房墓へも。途中「不意打に」、中村高等女学校(高女)で「小講演を余儀なくせしめられた」。

公会堂での歓迎晩餐会に続いて、夜は劇場(中央座と思われる)での講演会「国民大衆論」。「雨中に拘らず、非常の大入にて、その爲め木戸を鎖してその前には、群衆山を爲してゐた。此れは氣の毒ではあるが、立錐の餘地がないから致方がない」。紅葉軒泊。

翌九日、早朝から維新資料調べ。謄写を地元郷土史家上岡保次郎氏(正五郎氏父)に依頼して、八時出発。

その日は佐川泊。講演は「郷土の誇り」。伯爵田中光顕(青山)とは東京で昵懇の仲であった。

十日、高知へ。初月村に谷(干城)将軍を墓参したあと、蘇峰会高知支部結成式。官民三百名出席。支部長には旧知の野村茂久馬就任。

十一日、県立図書館、高知城、川崎邸、山内邸と墓、兼山、東洋、端山墓などを訪ねたあと、「市役所樓上」で講演「近世史に於ける土佐及び将来の使命」。

十二日、室戸方面を往復。

高知に三泊して十三日、土佐神社、大杉経由徳島へ。史談会会長、副会長は、中村から池田駅までずっと案内役を務めた。

十四日、首相濱口雄幸東京駅で遭難の報が徳島に入り、慰問の電報を打つ。十五日、小松島から船で大阪へ。

実は、蘇峰の中村、佐川などの訪問はこの時が初めてであるが、高知は三度目であった。最初が明治十七年(二十二歳)、二度目が十九年(二十四歳)。

同志社に学び、燃える民権青年だった蘇峰は板垣退助を押しかけ訪問。二度目は、植木枝盛、片岡健吉にも会っている。四十五年ぶりの訪問を「殆んど浦島太郎の故郷に還りたる」と述懐している。

蘇峰は明治二十年、平民主義を掲げて民友社を設立、日本最初の国民雑誌「国民の友」を発刊。続いて「国民新聞」も。

しかし、日清戦役、三国干渉を経て、「膨張的日本」へと国家主義に転ずる。田岡嶺雲は「説を変ずるはよし、節を変ずるなかれ」と苦言を呈し、五歳下の弟蘆花(健次郎)との仲も険悪になった。

明治四十四年一月、大逆事件で幸徳秋水ら二十四名への死刑判決が出た。蘇峰は首相桂太郎とは肝胆の仲。蘆花は兄を通して、秋水らの助命嘆願の手紙を桂に出したが、なしのつぶて。兄は動いてくれなかった。

ならばと、天皇への直訴文原稿を新聞に寄せた。しかし、間に合わなかった。蘆花は「謀反論」演説で秋水らの死を悲憤慷慨。

秋水は蘇峰より八歳若かったから、直接の交わりがあったかどうか記録がない。しかし、秋水はかつて蘇峰が教えを乞うた兆民の弟子であり、かつ自らが掲げていた「平民」新聞を発刊。

中村に秋水の墓があることを知らないはずはない。二年前逝った弟蘆花の嘆願。旅館からわずか百メートルの墓が気になったはずだ。

しかし、蘇峰旅日記には秋水墓参の記載はない。密かに訪ねたのに、書くのがはばかられたのではとも思いたいが、前後の急ぎのスケジュールを知ると、そんな時間があったとは思えない。

蘇峰はどんな気持ちで足早に中村を去ったのか、知りたいところである。

一條神社記帳は夫妻連名で妻静子の名を先に書いている。ともに徳富姓を付して。蘇峰記念館によれば、蘇峰は愛妻家であった。かつ、同志社新島襄ゆずりのレディファースト精神の表れではないかとのことである。

なお、弟蘆花は中村には来ていない。

 徳富蘇峰一條神社参拝

 「土佐史談」266号  2017年11月15日発行
 


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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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