FC2ブログ

横綱双葉山と秋水

いま相撲界は日馬富士、白鵬問題で混乱している。横綱の品格とはどうあるべきかをめぐって。

そこで出てくるのが双葉山。誰もが認める「大横綱」として伝説化されている。69連勝は、いまだ破られていない。

その双葉山が、終戦直後の昭和21年、中村に来て幸徳秋水の供養のための相撲をとったということを、このほど知り、驚いた。

幸徳秋水を顕彰する会では、毎年1月24日の秋水刑死日に、墓前祭を行っている。この墓前祭の始まりは昭和21年。

秋水は戦前、天皇の命を奪おうとした「極悪人」「逆賊」とされ、名前を語ることさえタブーとさてきた。秋水墓はもちろん、墓のある正福寺前の道を通ることさえ、はばかられたことであった。

しかし、戦後はその「重し」が取られ、人々は真実を知るようなると、今度は秋水は革命児として英雄視されるようになった。

時代転換の雰囲気のなかで、幸徳家(当主富治)は最初の墓前供養を堂々とおこなった。親族一同に、支援者なども集まって。

そうした当時の高知新聞記事をさがしていたところ、別の記事(昭和20年12月24日付)に双葉山の名前を見つけたのだ。

それによると、横綱双葉山、大関佐賀ノ花らの一行100余名は、終戦の年の昭和20年12月25日から翌1月9日にかけて、高知県内8カ所で「戦災者援護、海外同胞救援義捐興行」をおこなった。主催は高知県労働組合協議会、後援高知新聞社。

会場は、高知、田野、赤岡、宇佐、中村、仁井田、須崎、山田の8カ所。このうち中村では、1月1,2日、「幸徳秋水三十五年忌追善興行」と銘打って一條神社境内で行ったというのだ。

終戦直後に相撲興行というのは、いかにも相撲どころの高知県らしいが、8月15日の終戦からわずか4カ月後に迎えたというのは、ビックリだ。

主催が労働組合というのも、新時代到来を象徴している。労働組合だから、秋水となった面もあるだろうが、当時のヒーロー秋水の名が客集めに利用された面もあるだろう。

どれだけの人が集まったかの記事はないが、大いに盛り上がったのではないだろうか。

県下興行には、アメリカ進駐軍1000余名も招待し慰安する、ともある。これも時代の象徴。

秋水墓前祭は、昭和25年からは労働組合(幡多地区全労働組合協議会、のち中村地区労)主催となり、その後平成13年(2001年)からは、幸徳秋水を顕彰する会に引き継がれ、いまに続いている。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR