伊豆田峠

四万十市と土佐清水市の境界にあたる伊豆田峠は、今のトンネルができてからは峠の面影すらなくなってしまったが、かつては運転手泣かせの難所であった。

先日、葛篭山(つづらやま、標高417m)に約40年ぶりに登ってみた。頂上まで車で登ることができるが、その道は、トンネルの津蔵渕側手前右から旧道に入る。しばらく登ると旧トンネルにぶつかり、行き止まる。旧トンネルの入り口は土でふさがれており、いまでは木や草が生い茂っているが、かすかに残る道の黄色いセンターラインが突然消えているので、以前の姿を想像することはできる。

いまのトンネル(中村側)     旧トンネル跡(中村側)、入口が埋められている。

その行き止まりの手前の右側に、今度は急に狭くなった道がある。舗装ははげ、石がゴロゴロころがり、車がやっと登れるほどのまさに山道だ。これが旧々道だ。この道をしばらく登ると、葛篭山に登る道と分岐をするので、あとはまっすぐ進めば、頂上に着く。

一方、旧々道は分岐を右折して、そのまま進めば峠を越えて、下り坂となり、清水側の麓の市野々でいまの国道につながっている。
この旧々道はいまでは草が茂り、山の斜面が一部崩れたりしていて、車ではとても通れず、人がやっと歩ける林道として使われているぐらいで、また途中に人家もないので、生活道としての役割はとうに終わっている。

しかし、この道は、いまでは信じられないことだが、かつてはれっきとしたバスが通っていた道なのだ。

旧々道(中村側)     伊豆田峠2

この道がつくられたのは1910年(明治43年)。郡道以南(謂南)線として。それまでは,峠を越えるには人が歩いて通る、けもの道のような道しかなかったが、はじめて車が通れる復員9尺(約2.7m)の道ができたのだ。
その頃は、清水方面から中村方面に行くには、下ノ加江からの船便が中心であったので、麓の伊豆田村では「道路が伊豆田の坂を超えて来よる」と大騒ぎだったそうである。1921年(大正10年)には、中村―清水間の定期バスの運行も始まった。バス料金は2円60銭(中村―清水)だったそうだ。(「土佐清水市史」)

以降、この道が幹線道路になったが、険しい山の斜面を切り崩して道を開いたので、断崖絶壁の危険な箇所がたくさんあった。一番高い地点の峠は標高247m。そう高くないように思えるかもしれないが、海岸沿いのゼロメートルから上り坂になるので、高さの実感は相当なもので、バス運転手にとっては命が縮む思いだったそうだ。

実際、車の転落事故も多かった。一番大きかった事故が、1957年(昭和32年)6月、県交通バスが転落し、多くの犠牲者を出し、うち5人が死亡したというものだ。このバスは、貸し切りバスで、大方町伊田地区の婦人会の人たちが足摺岬に「遊山」に行くために、乗っていた。当時の道にはガードレールというものはなかった。
そんなこともあったためだろうか、その頃、峠には夜になると幽霊がでるという不気味な話がまことしやかに伝わっていたことを、私は覚えている。

開通した時には歓迎された道も、太平洋戦争後は悪路のシンボルのようになっていた。そこで、峠の中腹にトンネルを掘ることになった。県が(県道になっていた)総事業費3億円、期間5年をかけた大工事を行ない、1959年(昭和34年)3月、完成した。初代の伊豆田トンネル(長さ368m)だ。その時も、あの伊豆田の坂にトンネルができたということで、大きな話題になった。私は小学校1年生だったが、父が兄弟と一緒にわざわざバスに乗ってトンネルを見に連れて行ってくれた。その大きさに、ビックリしたものだった。

その頃、伊豆田峠を舞台にした映画がつくられた。五所平之助監督「雲がちぎれる時」だ。原作は田宮虎彦「赤い椿の花」で、新藤兼人が脚本をてがけた。
主演は佐田啓二、峠を通るバス運転手の役。車掌は倍賞千恵子でデビュー間もない20歳だった。この2人のラブロマンスなのだが、実際はもう一人の女性(有馬稲子)が絡む、結構複雑でドロドロした男女関係が描かれている。
映画のクライマックスは峠からバスが転落するシーン。実際のバスを落とした撮影が話題になった。明日はトンネルが開通するという最終便を運転していた運転手は死亡、車掌は奇跡的に助かるが、結局悲劇として映画は終わる。

映画1     映画2

映画のタイトルは、雲に届くような峠で男女の愛が引き裂かれた、という意味なのだろうか。この映画が封切られたのは1961年(昭和36年)だが、佐田啓二はその3年後、山梨県で実際の車事故にあい死亡しているので、因縁の映画になった。

佐田啓二といえば、俳優中井貴一と中井貴恵の父だ。その中井貴恵が今月7日、絵本の読みきかせの会で四万十市に来ていた。あいさつで、高知県は大好きだが、幡多に来るのははじめてだと言っていたので、私は会場から質問し、お父さんのこの映画のことを知っていますかと聞いたら、どうもはっきり知らないようであった。何と言っても佐田啓二は、当時は大スターで、毎年何本もの映画に出ていたし、また父が死んだ時、この娘はまだ6歳だったのだ。

この映画の主な舞台は土佐清水市側であるが、中村側でも県交通中村営業所バスターミナルの懐かしい風景が出てくる。思えば当時はバスが主役の時代であった。「おまち中村」も輝いていた。いまは、バスは日蔭の存在だし、子どもたちは車掌というものすら知らないだろう。もちろん、バスを舞台にした、こんな映画がつくられることは、もうないだろう。
その意味では、この映画は、伊豆田峠の難所の風景だけでなく、日本がモ―タリゼーション社会になっていく過程の時代背景を知るうえでも、貴重な記録映像になっていると言えるだろう。

このトンネルのおかげで、伊豆田峠越えは飛躍的に楽になった。しかし、人間が便利さを求める、道路の改良はその後もとどまるところを知らない。映画でのセリフにもあるが、峠道はトンネル完成により、距離で5.5キロ、時間で45分も短縮された。だが、それでも中村―清水間は、バスでなお2時間45分もかかっていた。

県道は、その後1970年(昭和45年)、国道321号に昇格し、サニーロードの愛称がついた。足摺観光ブームなどで、車の交通量も増えたことから、峠の麓にさらに長いトンネルを掘ることになった。それが、いまのトンネルであり、1994年(平成6年)に完成した。長さ1670m。これで、坂といえるほどの坂ではなくなったし、ましてや峠というのはおこがましいぐらいだ。車で普通に走っても、ものの5分もあれば通過できる。峠が消えた・・・
国道321号全体の改良も進んだので、いまでは路線バスでも中村―清水間は55分だ。マイカーなら、40分というところだろう。

折しもいま、政府が「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産の候補として推薦することを決めたところである。
日本全体からいえば、伊豆田の峠道など、四国の南のはての、名もない存在ではあるだろうが、これも立派な近代化遺産として、少なくとも地元の人間だけは忘れてはならないだろう。

伊豆田峠     旧々道2

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No title

懐かしいですね。私の母が下ノ加江の出身なもので、子供のころバスで一番上の峠を越えて行きました。峠では皆気分が悪くなって、洗面器に新聞紙を敷いたものを借りたものでした。そのあと、必ず急ブレーキのテストがあって、下ノ加江まで一時間かかりました。

Re: No title

いまは断崖が林になっていますが、映画の当時は、植林のため雑木が切り払われ、はげ山のようになっているため、谷底が眼下に見え、転落するのではないかという恐怖は、ものすごいものだったのでしょうね。

懐かしい

伊豆田峠はかつて映画を見たときから一度は訪れたい場所でした。話の筋も登場した女優の名前も忘れていましたが、遥かに海を見下ろす峠の父兄だけは記憶にあります。元日経記者だった土田さんの四国遍路の話の時に峠が廃道になったことを聞いてがっかり。紀州の矢ノ川峠も同じ運命二ヵ領用水なるのかな。

No title

YOUTUBEでこの映画を見てこのHPを見つけました。いつか行ってみたい場所になりました。ありがとうございます。

No title

昔話として、旧旧道を聞いたことがあります。が、それができる以前は、清水から中村まで船で行ってたというのは、知りませんでした。
山奥に住んでいて峠を越えるというのは、なにか開放感を感じます。少し前までの七子峠がそうだったようにです。
下の加江から津蔵渕までトンネル一本で行けるのは、生活の質を高めるのに飛躍的に貢献してると思います。
ただ、平板な道を通るのは便利でもある一方で、古いものも残してほしいというのは、地元の歴史を知るうえで、貴重な財産にも思えます。
どんどん道路がよくなり、便利なものが入って世界とつながれる側面と、地元にありながら見向きもしないものを発掘し大事にすることを、いい形で実現できたらいいのになと、いつも思います。
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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