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土佐一条物語

一條教房が応仁2年(1468)京から中村に下向してから今年で550年を迎えるにあたって、このほど格好の読物が出版された。

吉良川文張「戦国史話 土佐一条物語」(飛鳥出版室、2017年9月刊、270ページ、1000円)である。著者は高知市在住の土佐史談会会員。

土佐一條家100年の歴史を、主に長宗我部との攻防を軸にまとめた通史である。これまでの類似の本は、ほとんどが歴史研究者の論文であったが、この本は、一般の人でも読みやすいように、著者の推理を加えて、物語風に書いている。

とはいっても、歴史小説のような創作ではなく、基本部分はしっかりとした専門家の研究成果に基づいて(引用も多い)、推論は最小限にとどめている。

読み応えがあるのは後半の一條兼定と長宗我部元親との対決。ここでは、最近発見された「石谷家文書」による新しい知見(研究成果)がふんだんに盛り込まれている。

これまでは、兼定は暴君とされ、元親による調略もあって、家臣から豊後の大友宗麟のもとに追放されたとされてきたが、実際は、その裏には京都の一條家本家の思惑があった。

勢力を増す長宗我部には勝てないとみた本家は、元親と密通し、分家(土佐一條家)を存続させるために、兼定の息子内政に継がせ元親娘を娶らせることにより元親を後見人にするという取引ができていたのだ。

実質的には元親の軍門に下ることになるが、形式的には分家は存続させるというもの。公家のメンツである。

元親にしても、中村の一條家には、父国親が受けた過去の恩義があり、また京都の朝廷や信長、秀吉などからは、当時、格下の元親は一條家の家臣と見られていたことから、中村を武力で攻め落とすことは躊躇されたという、両者の思惑が一致した。

このあたりについては、四万十市の郷土史家東近伸氏の研究成果を引用しており、ここでも以前にもっと詳しく紹介をしている。

http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-292.html

また、著者は、兼定が最後に逃げ延び、墓もある宇和島沖の戸島にはまだ行ったことがないようであり、戸島のもようは私の訪問記録(高知新聞投稿)を引用してくれている。

http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-36.html

戦国期土佐においては、公家の一條家は別格の存在であった。その中で、他の7人の有力武将の中で、長宗我部が台頭し、ついに土佐を統一し、さらに四国制覇を果たすプロセスもわかることから、この本は「長宗我部物語」でもある。

土佐の戦国史に興味がある方は、ぜひ読まれることをお勧めしたい。
ネットでも購入できる。

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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