父を送る

 1月19日、父を送りました。
 父は大正14年生まれで、享年90歳(満88歳)でした。

 父は祖父が大正8年に開設した八束郵便局を引き継ぎ、郵政事業一筋に携わってきました。この間、地元八束の皆さん、並びに郵政関係者の皆さんには大変お世話になり、支えていただきました。

 父は旅行が好きで、郵便局長仲間と一緒にたびたび出かけていました。もともとの「家業」の農業のほうは、母に任せるというより、もっぱら押し付けていました。母は文句も言わず、農業のかたわら、冬場には家の前の四万十川で青ノリやシラスウナギを採っていました。

 父は、退職後も相変わらず、マイペースで気ままな生活をしていました。好きな本を読んだり、短歌をつくったり。家の周りを散歩するのが日課でした。

 体への無理がたたったのか、若い母のほうが先に足腰が弱ってきて、ほどなく寝たきりのような状態になりましたが、母の介護は父がほとんど一人でやりきりました。在職中には母をほったらかしていた、あの父にしては信じられないような献身的な7年間でした。父は母に対してきっちり、埋め合わせをしたのだと思います。

 こうして7年前に母が先に逝きましたが、父はその後も比較的元気でずっと家にいました。しかし、最近は「同級生たちもほとんどいなくなった。もう十分に生きてきたので、早くポックリといきたい」などと、さかんに言っていました。
 父が最近、『文芸なかむらに』に寄せた短歌に、こんなのがあります。

 妻逝きて 独立独歩で吾は生き 頓死願いつ 日日を過ごせり

 寂しさも 孤独もなく 生きており 寝付かず ただ頓死を祈りつつ

 父は、1月10日の夜は普段通り寝ましたが、翌朝、布団の中で意識を失っていました。救急車で市民病院に運ばれました。検査をしたところ、脳のすき間に血がたまっている、硬膜下血腫でした。意識が戻らないまま、8日後、静かに眠るように息を引き取りました。大変やすらかで、満足そうな顔でした。
 
 父の希望どおりの最期でした。父はあちらで、やったぞと言って、笑顔で母に会っていることでしょう。きっと神様が、母の介護をしっかりとやったご褒美をくれたのだと思います。

 残された家族としては寂しい思いはありますが、大願を果たした父に対して、「よかったね」と言ってやりたいと思います。

 私もいずれ父にあやかたいです。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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