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名護市長選挙の真実(5)

太平洋戦争下、唯一の本土戦の舞台とされた沖縄。その最後の決戦地を訪ねた。沖縄に上陸した米軍が日本軍を追い詰めたとろ。いまは糸満市。沖縄平和祈念公園になっている。公園の中心に摩文仁の丘がある。

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「平和の礎(いしじ)」には、沖縄戦で命を落とした人々の名前が全員、都道府県、国別に刻まれている。沖縄県14万9456人、県外7万7425人、外国1万4587人(うちアメリカ1万4009人)、計24万1468人。

圧倒的に沖縄県が多い。しかも、ほかが全員軍人であるのに、沖縄県だけはほとんどが民間人である。戦闘に巻き込まれたのだ。

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ガマ(洞窟)などに逃げ込んだ民間人は、日本軍から渡された青酸カリや手りゅう弾で自決した者も多い。断崖から海へ身を投げた者も。太平洋と東シナ海の境、本島最南端の喜屋武岬にも「平和の塔」が建っていた。

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ひめゆり部隊が命を落としたガマには慰霊塔(ひめゆりの塔)と資料館があった。沖縄がなぜ日本の盾にされたのか、沖縄戦の実態をリアルに示す展示であった。

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琉球王朝は、もともとヤマト(日本)とは別の国であった。東南アジア、中国、日本との交易で栄えた。戦を好まず、友好的な民族であった。

日本の江戸時代になって島津(薩摩藩)の侵攻を受けたが、ずっと独立は維持していた。しかし、明治10年、「琉球処分」で強権的に日本に併合され、沖縄県とされたのだ。

日本は太平洋戦争に敗れ、全土がアメリカに占領された。沖縄を除く部分は1951年サンフランシスコ平和条約で独立を果たしたが、沖縄は見捨てられ、アメリカの占領が続き、基地の島にされてしまった。

同条約の裏側でアメリカによる沖縄支配を温存させる日米安保条約と日米地位協定がこっそり結ばれたからだ。いま、わずか日本国土面積のわずか0.6%沖縄に米軍基地の74%が集中しており、基地内は治外法権である原点はここにある。

沖縄米軍のほとんどが海兵隊である。しかし、最初からこうではなく、本土で問題を起こす海兵隊は地元からいやがられるため、1950年代から60年代にかけて岐阜や山梨から、移駐させたのだ。

海兵隊を沖縄に封じ込めるという日米両政府の合意。日本の犠牲を沖縄に押し付ける。沖縄は捨て石にされたのだ。

「核抜き本土並み」を訴えた本土復帰(1972年)も、そうはならなかった。

そしていまの辺野古である。

今月の国会で安倍首相は、普天間の本土移転は「理解が得られないから」と堂々と答弁をした。沖縄の理解が得られないのは、かまわない。本土のほうの意向が優先されるというのだ。

これほど、あからさまに沖縄をバカにした話はない。ヤマトによる琉球差別はいまも続いているということだ。

今回の名護市長選挙は琉球対ヤマト政府の戦いであった。稲嶺さんは敗れたが、しかし、沖縄の民意が敗れた訳ではない。有権者アンケートでも67%は辺野古基地反対であった。

相手候補は基地問題は語らなかったし、語れなかった。公約にもできなかった。

辺野古反対の沖縄の民意は不動である。
たたかいは、まだこれから。
たたかいは続く。

沖縄の現実から目をそらさないこと。まなざしを注ぐこと。
日本の民主主義が問われている。

(終り)

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
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