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野中広務

少し前(1月26日)、政治家野中広務が亡くなった。大正14年(1925)生、92歳であった。

野中広務の政治家としてのスタートは地元京都府園部町町会議員であり、続いて園部町長を2期務めている。

私は園部町をこのほど訪ねたので(目的は岩崎革也資料展・講演会参加。前号に書いた。)、これも縁と思い、前から気になっていたことを書きとめておきたい。(園部町は2006年合併で南丹市になり、その中心部にあたる。)

野中は町長のあと、自民党京都府議会議員、京都府副知事を経て、代議士に。自民党の実力者・長老として、大臣、内閣官房長官(小渕内閣)のほか、党幹事長(森総理)まで務めた。

私はこんな野中に対して、政治の表と裏を知り尽くした、ダーティ―な「政治屋」のイメージをずっともっていた。しゃべり方は独特のキーの高いだみ声で、歯切れがいいが、その口の裏で何をたくらんでいるかわからないぞ、というような警戒心をぬぐうことはできなかった。

ところが、いつのころからか、野中がオヤ? というような発言をしているのが耳に入ってくるようになった。それは「二度と戦争はしてはならない」「憲法は守らなければならない」というようなものであった。

私は最初聞いた(報道をみた)時は、これは眉つばものだ、「政治屋」特有の二枚舌であろうと、にわかには信ずることができなかった。しかし、その後も、たびたび聞くようになった。

それによれば、野中は陸軍に召集され、終戦は高知で迎えたという。高知と聞いたから、記憶に残っている。そんな戦争体験から、いまの日本の状況を憂い、いろんな発言をしているというのだ。

自民党内ではハト派といわれるようになっていた。その頃から、私の野中に対する見方は少しずつ変わってきた。

野中は2003年、小泉内閣のころ、「抵抗勢力」とみなされ、突然政界を引退した。

しかし、引退後も政界のご意見番的発言はなおさかんに。特に最近では、安倍首相の強引なやりかたについて、強い口調で批判していた。集団的自衛権の解釈変更による安保法の強行採決などについて。

今回、こん話を聞いた。野中は旧制園部中学時代畑田重夫と同級であり、剣道部で一緒だった。

畑田といえば、国際政治学者で元労働者教育協会会長、かつて東京都知事選挙に共産党推薦で2度出馬したことがある。

そこで地元護憲グループが3年ほど前、二人の対談を企画し、野中に打診したところ快諾。対談は安倍批判で盛り上がりっぱなしだったので、司会者が気にしてブレーキをかけようとしたが、かまうものかと、ますますエスカレートしてしまったそうだ。

野中は、最近のアベ政治に対して、心底から危機感をもち、怒りをたぎらせていたのだ。

私は思う。これぞ本当の保守政治家なのだと。河野洋平元総理もそうだ。最近では福田康夫元首相も憲法改正の必要はないと発言をしている。小泉元首相も原発問題を中心にさかんに苦言を呈している。

そういう意味では、安倍はとても保守政治家とは言えない。かつていなかったような超右翼政治家である。こんなデビルがいまの日本政治を牛耳っているのだ。

森友学園問題の核心もここにある。籠池元理事長は安倍と同じ超右翼集団「日本会議」のメンバーであった。このグループが政治を私物化し、国有財産を超安値でかすめとろうとしたのだ。

その過程の中で、籠池も佐川もトカゲのシッポとして切り捨てられた。

野中広務は死んでも死にきれない思いだったにちがいない。きっと亡霊として安倍のもとに現れることだろう。

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
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