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幸徳秋水顕彰運動の歴史(下)

4.幸徳秋水を顕彰する会結成

二〇〇〇年三月、研究会を、さらに多くの市民が参加しやすい組織に拡大しようと幸徳秋水を顕彰する会を結成(初代会長森岡邦廣、同事務局長北澤保)。以後、研究会は顕彰会内の一部門として位置付けた。新たに機関誌「秋水通信」を発行、今にいたっている(十六年より「会報秋水」と合併し年二回発行、最新二十三号)。

顕彰会は結成直後から、市内二十六団体(区長会、婦人会、老人クラブ、商工会議所など)に呼びかけ中村市議会に要望。議会はこれを受け二十世紀最後にあたる同年十二月、全会一致で「幸徳秋水を顕彰する決議」を採択した。

決議は翌年、和歌山県新宮市議会に、さらに本宮町議会にも波及し、全国運動のエポックとなった。

 〇一年、刑死九十年墓前祭。座談会、山泉進、日南田静真。瀬戸内寂聴講演(三月)、「人間秋水とゆかりの人々展示」(十一~十二月)
 〇三年、映画「住井すゑ百歳の人間宣言」上映、平民社百年記念講演会中村大会。
 〇四年、会ホームページ開設。
 〇五年、高知県知事(橋本大二郎)から「あったか観光マインド優秀団体賞」受ける。
 〇七年、会員執筆「現代に生きる幸徳秋水」(秋水読本)出版。

5.次の百年へ

中村市は〇五年合併で四万十市に。〇九年落成新図書館(庁舎内)に顕彰会の要望通り「秋水資料室」が設けられた。

秋水刑死百年の一一年、市は一年間を通した「幸徳秋水刑死百周年記念事業」を行うことを決定。市長(田中全、現顕彰会事務局長)を会長とする実行委員会(事務局は教育委員会)を立ち上げ、議会にも諮り一千万円の予算をつけた。

先ず、市民啓発のため市広報誌と市ホームページに「秋水百年」コーナーを設け、毎月関係記事を連載したほか、小冊子「自由・平等・博愛 幸徳秋水その生涯」(十四ページ)を八千部作成、市内中学生にも配布。墓地看板などもリニューアルした。

イベントは、墓前祭記念講演会(山泉進、幸徳正夫)、北辰旅団演劇「大逆百年ノ孤独」のほか、シンポジウム(五月、早野透、田中伸尚、鍋島高明、山泉進)、市民大学(八月、鎌田慧)、特別展示、大逆事件サミット(九月)、秋水平和音楽祭(十二月、笠木透と雑花塾参加)。

サミットは大逆事件犠牲者顕彰に取り組んでいる全国八団体が初めて一堂に会し、「人権弾圧のない世界を求めて」とする「中村宣言」を採択した。

以後、第二回豊津(福岡県)、第三回大阪、第四回新宮(予定)と続いている。

十二年には、市長がはじめて新宮を訪問、熊野地方の犠牲者六人の墓を弔った。大逆事件記録映画「百年の谺」も全国に先行上映。

また、秋水以外の県内犠牲者四人も忘れてはならないとの提起から、坂本清馬没四十年の一五年は、初めて秋水・清馬合同墓前祭とし、同じ正福寺の清馬墓にも案内板を設置。合同祭は今後五年毎。

十六年、高知市内にある小松丑治、岡林寅松墓にも自由民権友の会と共同で墓標を設置。(もう一人の奥宮健之墓は東京)
同年、市民向けに秋水史跡めぐりを実施、十七年には幕末維新博に合わせ秋水につながる中村の先人たちを加えた。

この間、秋水最初の妻西村ルイが生んだ、秋水の血を受け継いでいる孫、ひ孫も初めて墓参に迎え、大きな話題となった。

高齢化等によりしばらく会員数は漸減傾向にあったが、最近の活動の広がりの中で、県外を中心に増加に転じ、現在二百四十一名(うち県外八十六名)。現会長宮本博行(四代目)。

かつて坂本清馬は「秋水祭の行事は革命運動である」と言ったように、戦後幡多、中村の平和民主運動の結集軸となり、いくたびも革新市政を生み出してきたバックボーンになったのが秋水顕彰運動であった。中村地区労は今も同じ組織形態を維持し、統一メーデーをおこなっている。

戦前回帰の風潮濃い昨今、顕彰会は安保法案、共謀罪に反対するアピールを発した。 

顕彰会は秋水が唱えた、自由・平等・博愛・平和の旗を、これからも高く掲げ続けていく。(終)


 「土佐史談」267号  2018年3月
 原題 「グループ紹介 幸徳秋水を顕彰する会」

 秋水刑死百年墓前祭(2011)
 秋水刑死100年記念墓前祭(2011年)
 フォークグループ「笠木透と雑花塾」が献歌



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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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