FC2ブログ

追悼 森岡邦廣さん

二〇一八年二月一七日、森岡邦廣さんが肺炎で亡くなられた。九十二歳。

森岡さんは大正十四年(一九二四)、幡多郡蕨岡村(元中村市)生。旧制中村中学卒業と同時に昭和二〇年二月十九歳で出征、満州へ。八月終戦は本土決戦に備えていた高知春野で迎えた。

戦後は地元営林署に入り、上司から「辞めらされんばあ~にしてくれ」と言われたほど労働運動一筋。秋水との出会いも組合活動からであった。

昭和三十四年(一九五九)六月、坂本清馬が再審請求準備のため最初に上京したさい、幡多全労協書記長として同行し、坂本昭参議院議員、森本靖衆議院議員や総評幹部らに支援要請。坂本議員は、翌年結成された裁判支援組織「大逆事件の真実をあきらかにする会」の初代事務局長に就いてくれた。

坂本議員秘書景平和平氏、全逓労組中央執行委員として専従派遣されていた長谷川賀彦氏(のち中村市長)は東京で精力的に動いてくれた。二人とも同じ蕨岡出身であり、「蕨岡組」が果たした役割は大きかった。

この裁判を機に、大逆事件犠牲者の名誉回復・顕彰運動が全国に拡がり、いまに至っているが、森岡さんはその火付け役の一人である。

中村地区労会長を経て、昭和四十三年からは中村市会議員(社会党)に。五期二十年、議長もつとめた。この間、秋水にぞっこんで、秋水と言えば森岡さんと誰もが認めるほどに全国の顔になった。

 二〇〇〇年三月、従来の労組中心から一般市民を含む幅広い組織へと、幸徳秋水を顕彰する会を結成したさいも当然森岡さんが初代会長に。

同年十二月、中村市議会が秋水顕彰決議をあげたさいは、すでに議員を引退しておられたが、森岡さんの「強引」な根回しがなかったなら、全会一致はなかったであろう。

〇七年、会長を北澤保さんにバトンタッチしてからも御意見番の顧問に就いてもらった。

小学生時代から剣道をずっと続けられ(市体育協会会長にも就任)、北澤保さん、久保知章さん(三代目会長)が昨年相次いで逝かれても、なおお元気であられたが、ついに後を追われてしまった。

いまは後輩二人と尊敬する秋水先生を囲んで熱い談義を交わしていることであろう。

森岡さん、長い間ありがとうございました。

 20180424081051bd6.jpg
 瀬戸内寂聴さんと。左端森岡さん。
2001年、秋水刑死90年記念講演会。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR