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水戸っぽ

茨城県水戸市には、東京にいたころ、二度行ったことがある。一度は、梅の時期に偕楽園へ。もう一度は、仕事で。しかし、どちらもサラリと、だった。

今回、久しぶりに行くことになり、しかも二泊もするので、本命の会議(脱原発をめざす首長会議)の前後に、少し歩いてみることにした。

水戸駅前のホテルの近くが、ぐるり水戸城跡であった。まず、藩校弘道館を覗いた。付近の道路には「水戸学の道」の看板があちこちに立っていた。

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「水戸学」といえば、徳川光圀(黄門様)と幕末の徳川斉彬。儒学思想の一つで、尊王攘夷運動の行動原理のベースにもなった。

水戸藩は徳川御三家の一つであり、格は高い。しかし、財政基盤は弱かった。質素、倹約につとめたようで、城と言っても派手な天守閣もない地味なものだった。

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本丸跡に、水戸一高があり、入ってみた。正面玄関の石に「堅忍力行」「至誠一貫」の校是が彫られていた。

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この高校の卒業生は、私の職場の同僚先輩に多くいた。

理屈っぽい、怒りっぽい、飽きっぽい、の「三ぽい」のを「水戸っぽ」と言うらしい。頑固真面目で譲らない。反面、人間味があり憎めない、そんな人たちが多かったように思う。

茨城弁は、高校野球で有名になった木内監督(取手二高、常総学園)の独特のイントネーションのあるじゃべり方がその典型だと、とその一人が、笑いながら教えてくれた。

また、一途さは、極端な行動をとらせる。大老井伊直弼を斬った桜田門外の変や昭和維新の血盟団事件のような「テロ」は、水戸っぽによるものだった、とも。

「土佐っぽ」という言葉もあったが、いまはほとんど使われない。死語に等しい。それにくらべて、「水戸っぽ」ははるかに激情的だ。だから、いまも生きている。

東海村元村長の村上達也さんも水戸一高出身だ。日本における原発発祥の地の村長でありながら、原発は地域の発展のためにはないほうがよかったと、堂々と言う。

また、東海村の人口は約3万8千人。四万十市(3万4千人)よりも多い。なぜ、「町」や「市」に変えなかったのかと聞くと、「ムラ」は人の集まり=共同体の基本単位であり、地方自治の原点なのだから、と言われた。

水戸っぽ 万歳。

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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