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堺事件(2)

堺には、以前仕事で何度か来たことはなるが、名所などをゆっくりと見たことはなかったので、いい機会と思い、少しまわってみた。

堺市立博物館に行ってみた。仁徳天皇陵の目の前、百舌鳥古墳群の緑の中(大仙公園)にあった。

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堺の海岸部は工業地帯になっているので、堺には緑が少ないというイメージをもっていたが、こんなに緑があることに驚いた。

ただし、仁徳天皇陵は平面から見れば、堀の水の向こうにこんもりした森があるだけ。有名な前方後円墳の形は、空からでないとわからないのは仕方がないこと。写真で想像した。

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常設展は、古墳時代、ここで製造開始されたという須恵器などの展示が中心であったが、ちょうど企画展「堺県とその時代」がおこなわれていた。

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堺県は、堺事件がおこった慶應4年2月(1868)4か月後の6月誕生。9月には明治に改元。和泉、河内、大和、いまでいえば、大阪府の大半(摂津以外)と奈良県という、広大なエリアを管轄していた。当時、堺のステータスがいかに高かったかがうかがえる。

しかし、その後、明治14年、大阪府に編入されてしまった。以後、堺は大阪、神戸の後塵を配する。

企画展では、堺事件についても解説。妙国寺所蔵の土佐藩兵隊長、箕浦猪之吉、西村佐平次の陣笠や隊の小旗などが展示されていた。

戦前のものと思われる、十一烈士墓の絵葉書も。当時は、堺を代表する名所史跡であったのだ。いまは、忘れられているが・・・

堺と言えば千利休。その関連展示も。庭には利休像と茶室もあった。市内別のところの「さかい利晶の杜」(利休と与謝野晶子の展示館)隣りには、利休屋敷跡も残っていた。

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鉄砲が伝来し、堺がその製造拠点になる。信長、秀吉、家康・・・戦国武将は堺をおさえることがポイントになった。

夕刻迫るころ、堺市役所21F展望室にも登った。海が見える。小さくなった旧堺港もかすかに見える。

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中世以降、日本の対外交易の窓口は堺であった。中国、琉球、南蛮へと。

応仁2年、前関白一條教房が中村に向かったのも堺からであった。以後、中村(下田)は、遣明船南海路の中継基地の一つになる。

江戸期以降、四万十川河口の下田は、流域の物資の積み出し港となり、堺との間を船が往復。多くの廻船問屋が競い合った。

いまも祭りで登場する太鼓台(山車)も堺から伝わってもの。堺市立博物館にも同じ形の太鼓台(堺では「ふとん太鼓」と言う)が展示されていた。

堺と中村との縁。

今年8月29日、四万十市民大学に、元堺市立博物館学芸員吉田豊氏を迎え「戦国時代の京都・堺」と題した講演をしてもらうことになっている。(終り)

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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