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陽水と秋水(1)

だいぶ前、東京にいたころ、職場の先輩から「井上陽水は土佐佐賀の出身だそうだね」と言われ、「違います、陽水は福岡の田川出身ですよ」と答えたことがある。

地元に戻って、それは陽水の父親が佐賀生まれだということだとわかった。本人もたびたび先祖の墓参りに帰っており、里帰りコンサートを開いたことがあることも。

さらに陽水は幸徳秋水と何か縁があり慕っているので、似た名を付けたのだという意外な話も耳にした。このことについて過去にいろいろ書かれた(ネットにも)ことがあることも。

私が市長時代の二〇一一年は秋水刑死百年目で、市が記念事業をやることになったので、それなら陽水を呼んでコンサートをやったらどうかということになり、陽水とパイプがあるという人を通して所属事務所に打診をした。

しかし、本人の返事は「自分の名前の由来は親から何も聞いていなし、知らない」と、あっさり断られてしまった。

なんだ、秋水とは関係がないのかと、期待を裏切られ、がっかりした。そして、そのままになっていた。

ところが昨年、同じ福岡出身武田鉄矢が陽水母から過去聞いた話として「陽水(本名アキミ)の名は秋水を尊敬していた祖父の思いをくんだ父親がつけたもの」と最近書いている、と教えてくれる人がいた。(武田鉄矢「鉄矢の幕末偉人伝」9、VISA会員誌2017年6月号)

そうか、秋水も「アキミ」と読める。

しかし、どっちが本当なのだろうか。はっきりとした「陽水」の正体を知りたいたいと思い、調べることにした。

佐賀には陽水につながる井上姓の家は、いまは残っていなかった。しかし、遠縁になるという家が何軒かあることがわかり、順番に訪ねた。

家系図を見せてもらい、私はオッとうなった。確かに幸徳家につながっていた。それは細い糸ではあるが。

中村の郷土史家上岡正五郎先生も関心をもっていたようで、市立図書館保存資料の中に調査した記録のようなものがあり、佐賀の家系図に反映されていた。

それによれば、秋水(明治四年生)の祖父篤親(三代俵屋嘉平次)の代に分家した弟篤昌(俵屋藤兵衛―嘉永七年没)の娘に「よし」がいた。よしは秋水父篤明のいとこになる。

よしは下田の商家平田屋の山崎介三郎(十一代)の弟弁次郎(分家)と縁組をした。平田屋と言えば中村市史にも出てくる江戸中後期下田で最も栄えた廻船問屋であり、文化五年(一八〇八)忠蔵の代、幕府の命で測量に来た伊能忠敬を泊めている。

中村の有力薬種問屋俵屋(幸徳)とは商売上のつきあいが濃かったのであろう。

山崎弁次郎―よしの三男に半次郎が生まれた。半次郎は佐賀に出た。佐賀で三宅助太郎の娘小八重と一緒になった。

「祖父(半次郎)は秋水のハトコだと言っていた」という証言を佐賀で聞いた。

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 山崎半次郎・小八重 墓

小八重には妹小竹がいた。その夫が井上魯吉(三宅家から養子)の四男廣之助であった。この廣之助(明治十七年頃生)が陽水の祖父である。

さらに、小八重には弟仲次郎もいた。仲次郎は大正七年、中村の谷川恒雄―寅(牧子)の一人娘武雄の入り婿となった。寅は秋水の二番目の姉であり、武雄は姪になる。(ただし、仲次郎は娘一人を残し一年後離縁)

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 三宅仲次郎、助太郎 墓

武田鉄矢は、廣之助青年は慕っていた秋水が処刑されたため土佐がいやになって外へ出た、その息子(陽水父)が田川で歯科医になった、と書いている。

しかし、それ以上のことは触れていない。廣之助がどこへ出たかも。佐賀では昭和初期撮影と思われる家族写真(親戚一同)は出てきたが、そのへんの記録はなかった。

廣之助には八人(男二、女六)の子がいた。一番上が陽水の父若水(ワカミ、明治四十一年生)であった。

その下の弟妹たちの消息を捜したところ、まさかと思ったが、下から二番目の妹志津江さんが大分県竹田市久住町にご健在であることがわかった。

志津江さんは大正十四年生まれだが、すこぶるお元気のご様子で、電話でいろんな話を聞かせてもらった。

それによると、井上家は旅館を兼ねた商売を手広くしていたが、廣之助の代に行き詰り、志津江さん小学三年の時(昭和九年頃)、一家をあげて神戸に出た。

以降は家族がいろんな仕事に就き、苦しい生活を支えあった。母小竹昭和十六年、姉春子は同十九年死んだ。

兄若水は歯科で働き朝鮮の京城(ソウル)に渡ってから独学で歯科医の免許をとり結婚もしたが、衛生兵として召集され、南方ブウゲンビル島で終戦を迎えた。

兄嫁フジは娘京子(陽水姉)を連れ自分の生まれ故郷福岡県直方に引き揚げた。兄はあとから復員、直方で合流。父廣之助を神戸から呼び寄せたが、昭和二十二年、喉頭癌で没。

その後、兄は近くの田川郡糸田町(現田川市)で歯科院を開業。下の弟妹たちも兄を頼って神戸から田川へ来た。

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 井上若水(陽水の父)

田川は炭鉱の町。志津江さんと末の妹富士見は炭鉱の仕事で久住町から出て来ていた兄弟と縁があり、ともに久住について行った。若いころは佐賀に何度も帰ったが、年をとったのでもう無理。佐賀がなつかしい。

秋水のことは何にも知らない。父が慕っていたというような話も、先祖がつながっているということも、甥陽水の名前の由来も、と言う。

とはいえ、先祖が幸徳家とつながっているということは系図から間違いない。あとは、名前の由来だ。(続く)

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            佐賀のまち

「文芸はた」第4号所収
 2018年7月20日刊

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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