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陽水と秋水(3)

以上は、先に「文芸はた」第4号に書いたものだが、以下は、書き足りなかったこと、強く言いたかったことを、まとめとして述べておきたい。

私が一番気になっているのは、武田鉄矢が書いていること((1)に引用)。鉄矢は、これまでにも何度かスポーツ新聞などに同じことを書いている。それが結構流布している。

つまり、「陽水という名前は、幸徳秋水を慕っていた祖父の気持ちをくんで父親がつけたと、陽水の母親(フジ)から生前聞いた」ということ。

しかし、私が調べた限りでは、そのことを裏付ける記録、資料、証言等には出会わなかった。

陽水の祖父廣之助は明治17年生まれで秋水(明治4年生)より13歳下。秋水が明治44年、39歳で刑死した時、廣之助26歳であったから、刺激を受けやすい年であったことはわかる。

しかし、おかしいのは、鉄矢が廣之助は秋水が刑死したことで土佐がいやになって外に出たと書いていること。だが、廣之助が一家を上げて神戸に出たのは昭和9年頃であることから、刑死から23年後ということになり、不自然である。

また、神戸に出たのは家業が行き詰ったためであり、その原因は廣之助がいわゆる人のいい旦那(いわゆるボンボン)だったためという証言がある。そんな廣之助は秋水の思想に共鳴するようなタイプには思えない。

しかも、調査の中で、陽水と同じ「水」の名をもつ父「若水」の名付け親は廣之助ではなく別にいた(親戚の千谷林三郎)ことがわかった。

この名付け親が「若水」と名付けるさい、秋水の影響を受けたのではないかと推測するほうが興味深い。

しかし、これについても、裏付けるものがないことは(1)に書いた通りである。

「若水」とは、「若い秋水」とも読めるので、想像はふくらむが、ほかにどんな意味があるのか調べてみた。

1.若水=わかみず  宮中で天皇に奉ずる水

2.若水=如水  老子に「上善は水の如し」という有名な言葉がある。「如し(ごとし)」は原文では「若し」である。

千谷林三郎は敬虔なクリスチャンであったというから、この2つには結びつかないようなイメージがあるが、当時知られていた言葉なら、これを名前に使ったということも考えられない訳ではない。

一方、井上家と幸徳家は親戚関係にあったということについては、武田鉄矢は何も書いていないが、これが事実であることは、はっきりした。

両家が親戚になったのは、井上廣之助が三宅小竹と結婚したことによる。小竹の姉小八重が秋水のハトコ(またいとこ)にあたる山崎半次郎と夫婦になっていたから、両家がつながったのだ(血縁関係はない)。

廣之助―小竹の間に長子若水が生まれたのは明治41年だから、結婚はその前年あたりであろう。明治41年といえば秋水が刑死する3年前。千谷林三郎が秋水を意識していた可能性はあるだろうが、推測の域を出ない。

さらに若水。

若水は苦労人で実直な歯科医という感じである。井上家の長男として、幸徳家とつながっていることは、知っていたものと思われる。

秋水が「秋」だから、対比して「春=陽」とつけたのか。それとも、単に自分と同じ「水」をつけただけなのか。

さらに陽水。

父のふるさと土佐佐賀に若いころからたびたび来るなかで、自分と秋水とのつながりをまわりから聞かされたことであろう。若い陽水を秋水墓に連れていったという親戚の証言があるのだから。陽水が秋水を意識しているのは事実であろう。

しかし、ただそれだけで、自分の名前の由来については、本人が言うように、何も聞かされていない(何もない)のかもしれない。

だとすれば、武田鉄矢の書いている、陽水母から聞いたという話があやしくなる。有名人の噂には尾ひれがつくものだ。

やはり、藪の中。(終り)

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
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