田中光顕と一條神社

 先日、用があって佐川町に出かけた。そのさい、久しぶりに深尾家の城下町を散策してみた。

佐川と言えば清酒司牡丹。白壁の酒蔵通りがシンボルになっているが、明治期、多くの人材を生んだことでも知られている。植物学者牧野富太郎と維新志士田中光顕が両翼であろう。

しかしながら、両者ともに、いまでは高知県の人以外は、知る人が少なくなったという。特に田中光顕は、よほどの歴史好きでないと知らないであろう。

田中光顕は土佐勤王党の一員で、坂本龍馬や中岡慎太郎の僚友であった。龍馬と慎太郎が京都近江屋で暗殺されたさい、最初にかけつけている。高杉晋作を通して長州との縁が深かったことから、明治政府の要職につき、最後は宮内大臣を長く務めた。

雅号を青山(せいざん)と言った。晩年は、若くしてたおれた幕末志士たちの顕彰につとめ、書画、手紙などの遺品を多く収集していた。大正時代、光顕が郷土に寄贈した、これらのコレクションをもとに開設されたのが青山文庫である。

 日露戦争のころ、こんな話が残っている。
ロシアのバルチック艦隊が近づき、日本が不安の渕に沈んでいた時のこと。ある夜、明治天皇夫人昭憲皇后の夢枕に坂本龍馬が現れ、「この海戦は必ず日本が勝ちますので、ご安心くだされ」と言って消えた。当時、宮内大臣であった田中光顕がこの話を世に紹介し、新聞各紙が大きく取り上げた。

東郷平八郎率いる日本海軍はロシア艦隊を撃破した。坂本龍馬は日本の守護神としてあがめられ、京都霊山の龍馬墓の前には大きな顕彰碑まで建てられた。それまで龍馬はさほど世に知られた存在ではなかったが、これを機に国民的英雄になった。

また、昭憲皇后は一條家の出(一條美子)であった。そこで一條家の霊をまつる一條神社も、日本海軍にとっては縁起のよい守護神とされた。軍港であった宿毛湾に立ち寄った軍艦からは、多くの海軍将校たちが中村の一條神社に参拝している。その記帳簿が残されている。

ところが、いまでは昭憲皇后の夢枕話は本当のものか疑わしいと言われている。宮内大臣として天皇家の近くにいた田中光顕が、維新の世直しの中、志半ばでたおれた若き日の同志たちを顕彰し、その名誉のためにつくりだした話ではないかと。また、明治政府内の土佐閥拡大のためとも。

夢枕話の真偽のほどは別として、この話を広めたのが田中光顕であることは間違いない。おかげて、一條神社もひところ有名になった。

そういう意味では、田中光顕は中村にとっても功労者と言えるかもしれない。

田中光顕 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%85%89%E9%A1%95

  DSCN7311.jpg        DSCN7287.jpg     DSCN7285.jpg

DSCN2844.jpg     DSCN2855.jpg     DSCN2862.jpg

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR