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箕島高校

箕島高校野球部が中村に来てくれた。

11月18日(日)、土佐の小京都中村550年祭記念事業の一環として、箕島高校と高知商業を招いた招待野球大会が開かれた。

1977年春のセンバツ甲子園大会。中村高校は初出場した。ジャンボ山沖投手を擁し、田頭主将以下、全員で12人のチームは、あれよ、あれよという間に勝ち進み、決勝戦で箕島高校と対戦した。結果は相手の左腕東(あずま)投手を打てず0-3で敗れた。

しかし、見事な準優勝であった。「二十四の瞳」「さわやか旋風」と騒がれ、それまで無名であった中村の名前が一躍有名になった。中村が最も輝いた日となった。

中村高校は、あれから41年目の昨年春、2回目のセンバツ出場を果たした。1回戦で前橋育英高校に1-5で敗れたが、大応援団が甲子園を埋めるなど(私も行った)、中村のまちは久しぶりに沸いた。

その記念として、昨年夏、中村高校野球部グランド脇に、2回の甲子園の戦績を記録した碑が建てられた。

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そうした余韻が残っているなかで、今回の夢の対決の再現となったので、スタンドには朝早くから多くの市民がかけつけ、盛り上がった。


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第1試合の中村―箕島戦の始球式は当時の中村高校市川監督が行った。田頭主将や岡上、田野選手などもバックネット裏で声援を送っていた。

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中村が4点を先行したが、最後は4-5で逆転負け。42年前の雪辱はならなかったが、練習試合でもあり、結果などどうでもいいこと。あのときの夢をもう一度見せてくれたことがうれしかった。

ただ一つ、残念だったのは、当時の箕島高校の尾藤公監督の姿が見えなかったこと。2011年に亡くなったからだ。

当時の箕島高校は甲子園常勝軍団であり、2年後には甲子園春夏連続出場の偉業を達成している(通算、春3、夏1優勝)

尾藤監督の笑顔が忘れられない。いつもベンチでニコニコしていた。選手のこころをつかみ、まとめる。さらに勝負師。当時の名物監督であった。

その尾藤監督が中村高校に対して、「自分も中村高校のような学校で野球がしたい」と言ってくれたのだ。同じ公立高校として、尾藤監督の野球理念に通じるものがあったのであろう。うれしかった。その言葉が強く印象に残っている。

その尾藤公監督の息子さんの尾藤強氏がいまの監督であり、試合後、ごあいさつをさせてもらった。顔もお父さんにそっくり。息子さんに、甲子園でのお父さんのあの言葉のお礼を言わせてもらった。

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高知県では、明徳義塾高校がその後できたのと同じように、いま和歌山県でも智辯和歌山高校が甲子園を独占しているような状態が続いている。

いまは全国的に私立優位という環境変化の中で、公立高校はどこも苦戦。箕島高校も5年前、久しぶりに甲子園に出たぐらい。あの池田高校だって同じだ。

招待試合翌日の高知新聞によると、尾藤監督は「中村高校はうちと似たチーム」と語ったそうだ。私もそう思った。

甲子園は確かに大きな目標であろうが、甲子園だけが高校野球ではない。学校教育の一環、クラブ活動としての高校野球の本来の姿を伝えていくことが大切であり、かつて歴史に残る名勝負をおこなった両校には、そのことを期待したい。

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招待野球の他の結果は、箕島1-1高知商業、中村10-10高知商業であった。

海を渡って、はるか遠い道を来てくれて、ありがとう箕島高校。
次は、また甲子園で対戦しよう。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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