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四万十天文台

旧西土佐村が環境庁による「星空の街」に認定されてから30年たつということで記念講演会と観望会が12月1日開かれたという記事が高知新聞に載った。

このイベントは市広報にも告知されていたことを私はうっかり気づかず、参加できなかったことが残念であった。(知っていれば、参加したのに)

というのも、この天文台については、私の思い入れがあるからである。

現天文台施設は、2013年4月、最初の場所から移設リニューアルしたものであるが、そのへんの経緯について、いまの市職員の間ではほとんど引き継がれていないことが今回わかったので、当時のいきさつを記録に残す責任もあり、書きとめておきたい。

私が四万十市長に就任したのは2009年5月。その時は、西土佐に天文台があることはまったく知らなかった。

中村市、西土佐村が合併して四万十市になってから4年目であったが、旧西土佐村職員が大半を占める西土佐総合支所職員からもそんな施設があることは聞いたことがなかった。維持管理などの関連予算が計上されていれば気づいたのだが、それもなし。

2011年夏頃だったと思う。久しく会っていなかった高校時代の同級生の小関高明君から突然に電話がかかってきた。彼は当時もいまも兵庫県姫路市に住んでいる。

なんだろうと思って聞くと、近く帰省する(土佐市)ので、西土佐にある天文台施設を見せてほしいという。

??? なんのこと。

小関君は姫路天文台につとめており、天文の専門家であるので、日本中の天文施設一覧という資料をもっており、そこに西土佐天文台も載っているという。

へえ~。本当なの。

すぐに調べてみると、確かに、あった、あった。

しかし、施設は老朽化し、実質放置された状態となっていた。ほとんど利用もなく、たまに天文マニアから要望があれば、天文に詳しい高齢の元教員に連絡して、細々と対応してもらっているということだった。

私は小関君と一緒に施設に出向いた。お世話になっている元教員にもお出でいただいて。

場所は、西土佐中学校の上の山。舗装もされていない、車もやっと通れるくらいの狭い山道を登ったところ。そこに直径3メートルほどのドームがあったものの、ドアは錆びて古くなり、カギで空けるのも苦労していた。

中にはこれも古びた望遠鏡が据えられていたが、天体好きの個人がもつ程度くらいのサイズと思われる、小さなものであった。

30年前、「星空の街」に認定されたころは、村おこしの売りにしようとそれなりの取り組みがあったらしく、その痕跡の一つが「ホテル星羅四万十」の名前であった。

しかし、その後、天文台は放置同然になり、四万十市になってからは話題にあがることすらもなくなっていたのだ。

小関君は、このあたりの空は申し分なくきれいだし、このまま放置するのはもったいない。リニューアルをして再利用すればいいのでは。そのためには、この場所は道が狭く、夜は危険であるので、アクセスしやすいところに移してはどうか、と提案をしてくれた。

天文台の所管は教育委員会西土佐事務所であった。私は当時の和田修三所長、阿部一仁主査に検討をしてはどうかと話をした。

小関君は、それからも何度か来てくれ、いろんなアドバイスをくれた。天文のノウハウをもっているので、施設の規模・構造、移設場所の選定、移設費用の概算、望遠鏡はどんなものがいいか、など。

そんな中、大きな問題があった。

施設にはガイド役が必ずいる。当時、半ばボランティア的に協力してくれていた元教員とは地元口屋内在住の池上蔦男先生であった。

しかし、池上先生は、すでに80歳を越えたご高齢で、もう継続はむずかしいような状態であった。施設を新しくしても、ヒトがいなければ、動かせない。あれこれ、市内に天体好きの人はいないか探した。しかし、いない。

それならと小関君から、自分は関西で同業の人脈・ネットワークがあるから、誰か適当な人をさがしてやろうということになった。

そこで、紹介をしてくれたのが、京都産業大学理学部で天文学を専門に勉強して、卒業後間もない浜田沙希さんであった。

しかし、浜田さんの雇用をどうするかという問題があった。四万十市が採用すれば一番いいのだが、統一試験と採用枠という問題もあり、簡単なことではない。

天文台の移設場所は、西土佐ふれあいホールの広い駐車場隅の暗いところがいいだろうということになった。

ホールのすぐ下にはホテル星羅四万十がある。

ホテルの施設は市のもの(旧西土佐村)であるが、運営管理は長年、丸和林業(株)子会社に委託をしている。

同社北岡会長との話し合いの中で、新しい天文台の管理運営をホテルに委託することを条件に、浜田沙希さんをホテルで採用するという案がでた。(市が委託管理料を払う。天体観測は有料とする。)

昼は清流四万十川、夜は満天の天の川ということで、観光の売りにでき、ホテル集客にも役立つだろう。

浜田さんは、星空観測を希望するお客さんへのガイド(アテンダント)を主業務とするが、昼間も可能な範囲で接客などの通常業務もしてもらう、ということで合意した。

これで計画はゴーとなった。
あとは予算の問題。市の予算を配布すればいい。

そこで思いついた。
当時は、ふるさと納税制度がはじまったばかりであった。制度はよく知られておらず、いまのような返礼品などやっていなかったころであったから、地元出身者など、ごく一部の人から届く程度であった。

しかし、当時はみんな「善意」のものであったから、おどろくほどの高額寄付も多かった。その中に、やはり私の高校同級で、西土佐口屋内中学出身の宮崎光生君がいた。しかも、宮崎君と小関君は同じクラスだった。

東京で建築設計会社を経営している宮崎君は、高額な寄付を複数回してくれていた。

寄付の使い道はふるさとのために役にたつ事業ならなんでもということで市長に一任をされていた。そこで、宮崎君のほうに電話をして、今度天文台をリニューアルするので、そのために寄付の一部を使わせてもらえないかと。

もちろんOK、それは歓迎ということだった。話のなかで、池上先生は、宮崎君実家の隣で小中学校の恩師であるという。これには驚いた。

池上先生にそのことを言うと、教え子の協力で、気にかかっていた天文台が復活するということで、大変よろこばれた。(ふるさと納税のことは、四万十天文台ホームページにも書かれている。)

あとは、順調に事業が進み、私が市長在任ぎりぎりの2013年4月26日に新施設の運用を始めた。

これにあわせ、天文台の愛称も募集し、最も投票数が多かった「四万十スター」と決まった。

そして、7月7日、七夕の日、オープンセレモニーが行われた。

今回の新聞記事によれば、オープンの年は、年間利用者633人だったものが、昨年は1484人と順調に増えているという。

池上先生がおられたからこそ、なんとか命脈を保っていた天文台が、小関高明君の提案、プロデユースで息を吹き返し、宮崎光生君のふるさとを思う気持ちが後押し、丸和林業の協力に支えられ、かつ浜田沙希さんという名アテンダントにも恵まれ、見事に再生、復活をとげた。

その後、池上先生はお亡くなりになられた。

浜田沙希さんは、地元の方と結婚をされ(現・谷沙希さん)、ずっと定住してくれている。

四万十天文台は多くの人々の善意の結晶である。

L15070[1]

 四万十天文台ホームページ  → http://www.shimantostar.com/



以上






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すばらしいお話、ありがとうございます

「四万十スター」誕生の詳しい経緯を知ることができました。ありがとうございます。
「昼は四万十川、夜は天の川」・・・これもなかなか洒落たフレーズですね。

恩師池上先生が喜んでくださったというお話、教え子として最大の悦びです。同級生数僅か24名の口屋内中学校での池上先生の理科と数学の授業。飾らない先生の話し方と私達生徒に対する真摯な姿勢、今思い出しても泪が止まりません。
放課後のミミズ掘りと夕方のころばし浸け、早朝朝靄漂う四万十川でのころばし上げ。四万十川沿いの山間の小さな中学校には、未知の世界に対する夢と希望、自然が育む故郷の優しさがありました。
冬「火の用心」の夜警をしながら見上げた寒空には、四万十スターには敵わないかもしれないけれど、満天の星空がありました。
この故郷を思い出させてくれたのも、田中全さん元市長の素晴らしい業績のお陰です。ありがとうございました。
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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