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中村政則の歴史学

恩師中村政則先生が79歳で亡くなられてから、早や3年が過ぎた。

亡くなられた時、私はこのブログ(2015.8.15)に追悼文を書いた。大学での先生との出会いなど、先生との思い出は、そこに書いたので繰り返さない。 http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-190.html

このほど先生の学問的業績を評価、検証した追悼本『中村政則の歴史学』(日本経済評論社)が出版された。

私は研究の途に未練はあったが、大学卒業後、農林中央金庫に就職した。先生追悼本は大学院に進んだ同世代の先輩、後輩たちが中心になって今回編集をしたものだ。

この本には「近現代史研究の中心的存在であった中村政則。日本資本主義史、天皇制論、地主制史、民衆史など、人々を魅了した多岐にわたるその仕事をさまざまな角度から再評価し、歴史学での位置づけを問う」の帯封がついている。

先生の同輩、後輩研究者の論考、座談会などが盛りだくさんに収められている。

先生が切り開いた歴史学の方法は、1、研究課題の明確な設定、2、課題間の有機的連関の把握、3、研究の方向性の明示、にあると総括されている。

その問題意識の原点は、よく聞かされたことであり、先にも書いたことだが、先生は1935年、東京新宿生まれで、国民学校で学童疎開していた群馬草津から戻ったら、一面の焼け野原に伊勢丹だけがポツンと建っていた、その荒涼とした光景であったということ。

だからであろう。先生の学問の岩盤には、非戦、平和、民主主義があり、新憲法への期待、擁護が貫いている。

先生は帯封にあるような分野でたくさんの著作、論文を残している。

その中であえて代表作をあげるとすれば、『労働者と農民』(小学館「日本の歴史」シリーズ、1976年)であり、戦後歴史学の記念碑的作品であるという評価では、座談会で一致している。

この本は先生が初めて挑んだ通史であり、いかに歴史を記述するか、その方法で悩んだ末にひらめいたのが、手元にためていた生の人間からの証言、聞きとりテープであった。

それまで一般的であった通史的叙述をやめ、日本資本主義の歴史的特徴(労使関係等)をもっともよく示している対象として、女工、坑夫、農民に絞り、「人間の主体的行動と客観的な構造との統一」をめざしたものであった。

この原稿を書かれたのは、私が四年生の時であり、夏休み後のゼミで、やっと書けたよと、満足感を漂わせておられたのを思い出す。

1999年、一橋退官(神奈川大学に移籍)を機に、先生を囲んだゼミ卒業生間の親睦組織「せいそく会」が発足。私も幹事の一人としてお手伝いをさせていただいた。

私は55歳で退職し、ふるさと高知県四万十市に帰り、第二の人生に挑戦したが、私が市長時代の2010年、四万十市民大学に先生ご夫妻をお迎えした。

テーマは当地に関連した「坂の上の雲と幸徳秋水―司馬史観を問う」を願いしたところ、ご快諾いただいた。

講演後、四万十川や足摺岬をご案内し、喜んでいただいたことが昨日のようだ。

四万十市は合併前は中村市であり、私がこだわるこの地中村に中村先生においでいただいたこともうれしかった。

いま思えば、あのころの一橋大学は、日本史学会をリードする教授陣であふれていた。

中村先生は経済史中心の近代史、ほかに中世史の永原慶二先生、幕末社会史の佐々木潤之介先生、思想史の安丸良夫先生、現代史の藤原彰先生。

そこで私が学んだのは、歴史を学ぶとは自分の生き方を考えること。歴史にどうかかわっていくかが鋭く問われるということ。

人の思想や行動の背景には歴史認識や歴史観がある。だからいつも歴史教科書が槍玉にされる。歴史学はきわめて実践的な学問である。

いまの日本の政治経済状況を歴史の中にどう位置付け、どう対するのか。

私はこれからも中村先生に学んだ歴史学を座標軸にしていきたい。

先生の追悼本を多くの人に、ぜひ読んでほしい。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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