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幸徳秋水刑死108周年墓前祭

1月24日、秋水108回目の命日、恒例の幸徳秋水墓前祭を開いた。

例年、この日は雪が舞うなど、寒い日となることが多いが、今年は天気に恵まれた。例年と同じぐらい約70名集まった。

最初に、幸徳秋水を顕彰する会宮本博行会長が追悼文を読み上げたあと、順次菊の花を献花。

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今年は遺族関係者として長尾正記さんが初めて参加された。

秋水が家を出たあと幸徳家を支えたのは駒太郎であった。駒太郎は久保川村の長尾家に生まれた。幸徳家(俵屋)に下僕として入ったが、その真面目な人柄と仕事ぶりを見込まれ、28歳の時、秋水の伯父篤道(父の兄)の養子になる。

秋水は2歳の時父篤明を亡くしているので、伯父は父親代わり。同じ屋根の下に同居していた。だから、秋水は駒太郎のことを兄と呼んだ。

長尾家がいまはどうなっているのかずっとわからないままであったが、昨年、同じ久保川地区に残っていることが判明。今年の墓前祭にご案内をしたところ、快く参加してくれた。

駒太郎の墓は秋水の隣。自分の実家の子孫(兄のひ孫)が来てくれて、心強く思ったであろう。

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今年も県外からは2名が参加。京都府南丹市の奥村正男さんと岡山市の森雄二さん。お二人には簡単なスピーチをしていただいた。

このうち奥村さんは京都丹波岩崎革也研究会会員(元代表)で、今年の墓前祭記念講演会「岩崎革也と幸徳秋水」の講師としてご招待。

岩崎革也は、秋水より2歳年上の地主、資本家、銀行家(頭取)で、京都府の須知町長も務めた人物で、平民社に対して多額の寄付を行うなど、秋水、堺利彦らの活動を経済的に支援した、いわばスポンサーであった。

秋水らが刑死直後、堺利彦が犠牲者遺族慰問のために全国を回り、中村にも来ているが、その金300円を出したのも革也であった。

私は昨年3月、革也の地元を訪ね、このブログで紹介をしているので、ごらんいただきたい。

http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-416.html

講演会には40名が残ってくれた。秋水と革也の縁で、両地の交流が深まるきっかけになるであろう。

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秋水が大逆罪で刑死した西暦1911年は明治44年。明治は翌45年で終わり大正、さらに昭和に。

大逆罪(旧刑法73条)とは天皇家だけを対象にしたもので、危害を加えんと「謀議」をするだけでも死刑。天皇は絶対君主であり、神であった。

日本は敗戦により、軍備は撤廃、戦力も放棄。天皇は人間となった。

しかし、制度としての天皇制は一部温存された。その一つが元号である。

昭和はそのまま継続し、敗戦翌年の昭和21年、駒太郎の長男富治が幸徳家の墓前供養として始めたのがいまの墓前祭の最初である。

秋水が「思うに、百年ののち、だれか私に代わって言ってくれるものがあるであろう」と言い残して死刑台にのぼった、その100年後は平成になっていた。

さらに平成も今年で終わる。初めての生前譲位による代替わりであるが、誰がどう決めたのか、国民的議論にはほど遠かった。

天皇制のあり方につながる元号の是非の議論もタブーとして封印されている。

憲法は瀕死の状態で、軍備はますます増強、共謀罪では「謀議」も復活。

平成最後の秋水墓前祭。秋水の嘆きが聞こえて来た。

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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