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幸徳駒太郎の生家長尾家について(1)

1.駒太郎生家発見

エアポケットであった。

久保川村長尾家から幸徳家に養子に入り、伝次郎(秋水)が中村を出奔したあとの幸徳家を支えた駒太郎について、私はかねてよりその生家長尾家はいまどうなっているのか知りたいと思っていた。

しかし、誰からともなく、長尾家のことはわからないというような話が伝わっており、気にはなりつつもそのままになっていた。

そんな中、秋水研究会六月例会のさい、顕彰会宮本博行会長(第四代、二〇一七年就任、元四万十市会議員)から、うちの近くの久保川にはいま長尾姓の家が二つあるという話題が出た。宮本会長の自宅も久保川と同じ旧大川筋村(その後中村市→四万十市)にある。

たぶんその長尾は駒太郎の生家とは違う長尾だろうとは思ったが、念のため七月十五日、四万十川本流を遡った山間地に、農家らしいその一軒をさがし、飛び込みで訪ねてみた。

ちょうどご主人の長尾正記さんがおられ、聞くと、名前は知らないがそんな人がうちの先祖にいたというような話は聞いているとのこと。驚いた。

仏壇の先祖位牌を見せてもらうと、明治、大正時代のものに林太郎、勝太郎という親子の名前がある。近くの先祖墓にも案内してもらった。駒太郎と同じ太郎だ。

しかし、駒太郎の名はなかった。家系図はないという。久保川にあるもう一軒の長尾家は分家というから、調べる必要はない。また、過去にも長尾家がほかにあったとは聞いていないと言われる。だとすれば、駒太郎の名がないのは家を出たからかもしれない。

そこで日を改めて、四万十市役所で長尾家先祖の戸籍をとってもらった(私も同行)。しかし、駒太郎の名前は出てこなかった。

以上の経過を電話で東京の幸徳正夫さん(駒太郎ひ孫)に報告。あとは駒太郎の戸籍から調べるしかないと思い、正夫さんに戸籍をとるための委任状をお願いした。

すると駒太郎の戸籍(戸主幸徳亀治、前戸主幸徳克作)に「養兄」として「明治十五年六月二十八日本郡大川筋村長尾林太郎弟入籍ス  亡養父克作養子」「安政二年九月八日生」と記載されていた。

これでつながった。

長尾家戸籍、墓石、位牌から整理をすると、長尾家は和七(文久元年没)から始まり、その息子が平作で、平作と妻ミキの間に生まれた兄が林太郎で、その弟が駒太郎である。

林太郎以降は→勝太郎→増美→正記(現当主)と続いている。

林太郎孫の増美は大川筋村会議員→中村市会議員をつとめた地元有力者だった。正記さんはその長男(林太郎ひ孫)であることが確認できた。八月十三日。

 
2.大原慧氏調査

 幸徳秋水の家系については、かつて大原慧氏(大逆事件の真実をあきらかにする会第三代事務局長)が詳細に調べている。(大原慧「幸徳秋水の家系について」『幸徳秋水の思想と大逆事件』所収、一九七七年)

当時は、戸籍謄本は第三者でも閲覧ができたので、当然、幸徳家の戸籍は閲覧したであろうし、幸徳家伝来の系図、年譜書等(現在所在不詳)も見たと記述している。

そこには駒太郎は久保川村農家長尾家の「三男」であり、秋水の父篤明の兄篤道(別名克作)が久保川村庄屋に赴任していた明治三年、十六歳の時、篤道家の「下僕」として中村に連れて来たと書いてある。

篤道は役人志向が強く、商家俵屋を継いだのは弟篤明であった。しかし、篤明は明治五年没した。

篤明の長男亀治はすでに子のいない兄篤道の養子に出していたので、俵屋を継いだのは弟伝次郎であった。しかし、伝次郎はわずか一歳。篤道夫婦が俵屋に同居し伝次郎の「後見人」になるとともに、駒太郎を篤明家の「中継ぎ養子」とした。

駒太郎は伝次郎が少し長じてから長尾姓に戻ったとある。

その後、駒太郎は先に書いた日付(明治十五年)、二十八歳の時、篤道の「廃家予備養子」になった。「予備」とは、亀治が先に養子に入っているので、亀治に万一のことがあった場合という意味である。

このように駒太郎は幸徳兄弟二家の都合で、ころころと「居どころ=籍」が変わっている。

しかし、大原氏の記述には、駒太郎が篤道の「廃家予備養子」になった日付は書かれているが、「中継ぎ養子」「長尾姓に戻る」の日付がない。今回私の調査でもわからなかった。「三男」ということも。(注 追記  その後の調査で「三男」であることは確認できた。)

私が推測するには、これらのことは大原氏が見たという幸徳家系図、年譜書等に書かれていたのではないだろうか。

仮に、いまでは閲覧不能な(直系親族がいないので)篤明家(秋水家)戸籍にそんな記載があったのであれば、大原氏はその日付を当然書き写したであろう。

系図や年譜書は私家製である。駒太郎に納得させ、そのようなことで一族合意したとすれば、戸籍登録まではしなかったのではないか。

または、明治初年のことであり、戸籍制度そのものが整備されていなかったのかもしれない。

いずれにせよ、もらわれてきた下僕駒太郎は言われるままだったのだろう。

そんな中、当然ではあるが、大原さん調査は長尾家までは及ばなかったようであり、今回はじめて駒太郎の生家が判明したことになる。(続く)

 長尾家前を流れる四万十川
長尾家前を流れる四万十川

「大逆事件の真実をあきらかにする会ニュース」
58号所収 2019年1月発行



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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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