筒井泉吉

いまは彼岸。
きょう、筒井泉吉没後80周年記念行事が、市内百笑にある墓地(墓前祭)と文化センター会議室(記念講演)で行なわれた。

戦前の言論・出版等の自由がない時代、反戦・平和・自由を訴えたことにより、時の政府により逮捕され、処刑された人物として、地元では幸徳秋水がいる。
幸徳秋水は、誰もが知っている存在であり、地元には「幸徳秋水を顕彰する会」があり、毎年1月の命日(処刑日)には、墓前祭が行なわれている。
私も毎年参加をしている。

中村には、もう一人、同じように犠牲になった人物がいる。
筒井泉吉である。

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筒井泉吉は、1914(大正3)年、安芸郡生まれであるが、3歳の時、家族で中村に移る。中村高等小学校を出てからは、電力会社やバス会社の労働者として、プロレタリア作家同盟幡多支部結成し、機関誌を発行するなどして、反戦・平和活動をおこなっていた。

1933(昭和8)年7月、特高警察による全県一斉検挙によって高知市で逮捕された。同じころ、東京では小林多喜二も逮捕されている。
警察での取り調べは厳しく、苛烈な拷問を受け、家族が面会に出向いた時には、すでに死亡していた。警察医の診断は「心臓かっけ」。
同年9月19日のことである。わずか、満19歳であった。

幸徳秋水は、形だけの暗黒裁判とはいえ、一応裁判にかけられ、判決を受けての処刑であった。しかし、筒井泉吉は、裁判にすらかけられず、警察の取り調べの中で、虐殺をされた。死因は、突然の病気として片づけられた。

筒井泉吉の名は、その後も埋もれたままである。
その名を知る市民は、ほとんどいない。

ここ中村には、幸徳秋水だけでなく、その志の高さゆえに、時の権力の犠牲になった人物がもう一人いることを忘れてはならないだろう。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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