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元号はいらない

現天皇の生前譲位により、5月1日から新元号になる。その名称が4月1日に発表されるというので、マスコミは政府の意をくんでムードづくりに熱心だが、私には空々しく感じる。生活感覚とズレているからだ。

これまでは、天皇は命がなくならない限り、交代が許されず、よって改元の日もいつになるか予想ができなかったので、事前の新元号論議は「慎まれ」てきた。

今回は初めてのケース。空々しく感じるのは、元号の本質の議論が避けられているからだ。そもそも、元号は必要なのかという。

私は元号はいらないと思う。万国共通の西暦があるのに、元号が加わると混乱この上ない。日本社会全体が蒙る無駄なコストやエネルギーは、はかり知れないと思う。

昭和28年生まれの私は、かつては元号でものごとを考えることが多かったが、段々と西暦発想に移行し、いまや西暦が軸になっている。

だから、元号で言われても、ピント来ない。西暦に読み替えないと、頭の中に整理できない。

明治、大正、昭和については、その読み替えには、そう苦労をしなかった。しかし、平成になってからは、あやしくなった。さらに、新元号になればお手上げである。

マスコミが元号の是非を掘り下げをしないのは、元号は天皇制そのものであるからだ。天皇タブー=菊タブーには触りたくないのだ。

戦前において、日本国民だけでなく、アジア周辺諸国に塗炭の苦しみと犠牲を強いて来た元凶である天皇制は、1945年(昭和20年)の敗戦によって廃止されるはずであった。天皇は戦争責任を問われることを免れることはできなかった。

というのも、戦勝陣営である連合国は、いずれの国も天皇の戦争責任を追及すべきとの考えを示していた。アメリカもだ。

しかし、日本を単独占領したアメリカの総司令官マッカーサーは、日本に足を踏み入れてから、考えが変わった。現人神として君臨してきた天皇のもつ、なお隠然とした威力を肌で感じたことから、現実的な策として、天皇制を温存し、戦後の日本支配に利用しようと考えたのだ。

マッカーサーの意見にトルーマン大統領も応じた。名=天皇制廃止よりも、実=天皇利用をとったのだ。

その結果、天皇制は「象徴」として温存されることになった。

「象徴」とはシンボルであり、権力をもたないという建前であった。しかし、歴代自民党政府は、天皇の政治利用に腐心してきた。法的根拠をもっていなかった元号制度は1979年(昭和54年)法制化された。

天皇生前譲位という今回初めての事態に安倍政権は当初うろたえたようにみえたが、その後、これをチャンスととらえ、政治的に最大限利用している。

新元号がどうなるか、マスコミ総動員で盛んに関心をあおり、盛り上げようとしている。しかし、国民の大半は冷めた反応だ。そんなこと、どうでもいいと。

戦後の歴史において、天皇の政治利用が目立ったのは、自民党が危機に陥っていた時だ。現天皇の結婚の時のミッチーブーム(1958~59年)がそうだ。

今回も安倍長期政権の制度疲労が髄所に現われているいま、国民の不満や批判の眼をそらし、曇らせるために、改元が利用されている。

4月1日には、菅官房長官が新元号を発表したのに続いて、過去になかった総理談話があるという。安倍首相は嬉々としてしゃべるであろう。

元号を最終的に決めるのは安倍首相なのだろうし、自分に都合のよい名称にするだろう。(「安」という文字が入るのではないかとう観測もある)

重ねて言いたい。
天皇制と不可分の元号はいらない。

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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