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安岡正篤

新元号が令和と決まったことで、その考案者は誰かということに関心が集まり、万葉集研究者の中西進氏(元大阪女子大学長)だろうという報道がされている。間違いないようである。

4月11日付高知新聞では、これに関連した記事で、平成の考案者についても触れている。こちらのほうは、二つの説があり、二人の名前が挙げられている。

いずれも、すでに故人の山本達郎東大名誉教授と思想家で陽明学者の安岡正篤(まさひろ)。

このうち安岡正篤(1898~1983)は、政財界の要人(歴代首相など)の指南役(黒幕)として有名で、太平洋戦争降伏の天皇詔勅に筆を加えたことでも知られている。平成改元時の総理大臣竹下登とは親交が厚かったようだ。

安岡正篤は、このブログでも何度も書いてきたように、中村の安岡家の末裔であり、幸徳秋水にもつながっている。

安岡家の祖は、中村藩(初代藩主山内康豊=一豊の弟)に仕えた家臣であったが、元禄2年、4代久左衛門良儀の時、中村藩が改易になったことから禄を失い、中村郊外の間崎村に移り住み、郷士となった。

久左衛門の後を継いだ5代貞助良久の弟に伝七眞儀がいた。伝七は分家し、橋上村(現宿毛市)の庄屋になった。

その末裔の良純は明治初年、東京に出て税務官吏となった。その長男盛治(養子)は娘一人しかいなかったので、当時東京帝大生であった大阪生まれの堀田正篤と養子縁組をし、娘(婦美)と結婚させた。

堀田正篤は安岡正篤になった。

安岡本家の末裔にあたるのが初代熊本県令(知事)安岡良亮である。良亮は明治9年、熊本神風連の乱で斬られて命を落とす。

良亮の母菊は幸徳秋水の母多治の伯母(父小野亮輔の姉)であるから、良亮と多治は従兄妹になる。こうした関係から、秋水は安岡家人々から強い影響を受けている。

秋水は大逆事件の首謀者に仕立てあげられ刑死した。一方で、安岡正篤は元号平成の考案にかかわったのではないか、とされている。歴史の皮肉。

元号は国民主権とは相反する天皇制の残滓といえる。刑死から108年、秋水はいまも元号が残っていることをどう思っているだろうか。

なお、インターネットのウィキペディアなどでは、安岡正篤は安岡良亮の長男雄吉(代議士をつとめた)の養子(娘婿)と書かれている。雄吉は同族として正篤の東京帝大時代の身元保証人にはなってはいるが、これは間違いである。


DSC_1803-1.jpg   20190415085632328.jpg
   安岡正篤      高知新聞 2019.4.11


参考
本ブログ 2017.1.10  2019.2.19

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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