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実崎空襲

中村空襲だけでなく、私がいま住んでいる実崎(さんざき)部落へもアメリカ軍の空襲があった。

昭和20年7月24日朝8時ごろ。B29が足摺岬方向から飛来し、爆弾4発を落とした。爆弾は家のあるところをはずれ、田んぼの中に落ちた。

普段なら、誰か田んぼに出て農作業をしていてもおかしくなかったが、その日は、朝から部落の田役だったので、人への被害はなかったと、父から聞いている。田役とは、集落の共同作業のことで、家のまわりの道や溝などの作業をしていたようだ。

先の戦争体験を語る会で、実崎の隣部落、深木の江口春代さん(昭和6年生れ、88歳)はこの爆撃のもようを見たと話していた。

その日、田んぼの草取りを手伝っていたら、飛行機が4機飛んできた。そのうちの1機が引き返してきて爆弾を落とした。爆弾は流れるように落ちて行ったという。

中村市史には1機のことしか書いていないが、4機編隊だったのだろうか。父も複数飛んでいたうちの1機が落としたと言っていたように思う。どこかの空襲の帰り、余った爆弾を落としたのだろう、とも。

爆弾の落下地点の田んぼの中には池が出来ていた。直径15メートルくらいの。私が中学生のころまで残っており、そこで鮒を釣ったりした。地元では池のことをバクダンと呼んでいた。「バクダンに釣りに行こう」など。いまは埋められ、写真のような田んぼにもどっている。

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戦争資料展でつくられたパネルでの位置はこのとおり。落下地点を赤くプロットしている。右の大きな川は四万十川で、河口から4キロ地点。私の家の屋根も小さく写っている。

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この1機は中村方向へ飛んでいき、中村の北側の安並部落の田んぼの中にも2発の爆弾を落とした。安並では運悪く夫婦2人が田んぼに出ていて、命を落とした。名前もわかっており、市史に書かれている。

アメリカ機はどういう目的で爆弾を落としたのだろうか。

実崎から安並は北の方角だから、B29が足摺岬方面から飛んできたという証言と符合する。だから、どこかを爆撃してからの帰りというよりも、爆撃に行く途中に落としたとみるべきだろう。中村の町を狙ったのがはずれたのか。安並はそうかもしれないが、実崎はだいぶ離れている。目的がわからない。遊びのようなものだったのか。遊びならたまらない。

中村空襲も、実崎(安並も)空襲も、8月15日敗戦の直前のことであり、日本は制空権を失い、アメリカのなすがままであった。

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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