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文子を追っかけ韓国日記(3)

3日目

聞慶のホテル9時発、バスで芙江(プガン)に向かう。いまの忠清南道世宗市(セジョン)芙江は、金子文子が幼少期暮らした地である。

母の実家山梨県牧丘町に暮らしていた文子は、1912年10月、父の妹が嫁いでいた岩下家の養女としてもらわれ芙江に渡る。10歳の時である。そして1919年4月まで約7年、ここで暮らす。

ここでの体験がのちに朴烈に接近し、一緒の活動に加わる原点になったとされる。日本による朝鮮支配や現地人差別の実態、3.1万歳事件も見ている。また、養女とはいえ下女のような扱いを受け、自殺までしようと追い詰められたことは、後に獄中手記「何が私をこうさせたか」にリアルに書いている。

当時も今も芙江地区の人口は約7千人で、当時日本人は約300人。300人で7千人をコントロールしていたのか。

バスで高速道路を1時間、最初に文子が通った小学校跡を訪ねた。いまの小学校と同じところに、日本人小学校と現地人小学校が隣り合わせてあった。

校長室に案内される。女性校長、村長、同窓会長、地元郷土史家らから丁寧な挨拶と説明を受ける。いまの学校建物裏にあったという昔の学校跡を案内される。広い校庭で全員写真。

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日本の憲兵隊がいたところへ歩く。いまは警察署になっている。文子はここで朝鮮人が憲兵隊にたたかれていた光景を見ている。警察署長が挨拶をしてくれた。

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芙江駅へ歩く。文子は釜山から列車に乗りこの駅に着いた。同居することになる父方祖母に連れられて。

駅舎は小さいが、ホームは広い。何本も線路がある。かつて芙江は京城への入口にあたり百済の時代からの交通、流通の要所であり、日本進出の拠点になったところ。大河錦江の水運、鉱山等で栄えた。広島出身の岩下家も一獲千金を狙って移住したのだ。

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錦江を見下ろす堤防に案内された。目の前に双頭の芙蓉峰そびえている。この山は、文子が住んでいた山梨県牧丘町から見える富士山とそっくりであるため、文子はこれを見て故郷を懐かしんだ。

山田昭次著「金子文子―自己・天皇制国家。朝鮮人」に当時のものとみられる古い錦江の写真が載っている。たっぷりと水をたたえ、湖か海の入り江ようだ。しかし、いまは上流にダム2つができ、水量は少なくなり、その面影はない。以前は、川の氾濫でたびたび芙江の町は水没したそうだ。

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ここから下流20キロのところに百済の都があった。また、下流100キロが白村江と呼ばれる河口であり、かつて日本軍が百済支援のため唐・新羅連合軍と戦い、大敗したところ(663年、白村江の戦い)。地元郷土史家から詳しい説明を受けた。

昼食は地元料理を出す食堂でいただいた。基本はビビンバだが、ソウルとは少し違う組み合わせ。野菜中心なので、昼でもドンドンお腹に入る。おいしい。

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案内役の李圭相さん(元村長、小学校同窓会長)が私財を提供して運営しているという三柳図書館も覗く。地元住民のコミュティーの場にもなっている。

日本でもそうだが、地元にこういうリーダーがいるところはまとまりがある。共生社会のモデル。すばらしい。

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午後は、文子が住んでいた岩下家の跡地へ。駅裏の少し小高い地点。いまも民家がある前の空き地がそこ。大木の根元には、家の土台に使われていたという石がころがっていた。ここからも芙蓉峰が遠くに見える。

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岩下家はこの地で高利貸しなどをしてかなりの蓄財をしたが、文子が日本に帰され、のちに逮捕されたあとは、ここにはいられなくなり、どこかへ引っ越したそうだ。

そのまま歩いて近くの古民家に案内される。土壁があり、かつての有力者の屋敷のよう。入口に近づくと、われわれツアーを歓迎する横断幕をもって人が立っている。驚いた。家のつくりは中庭に井戸があり、日本の屋敷に似ている。同じ文化だから当然か。

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スイカや饅頭のごちそうが並んだ座敷に案内されると、待っていた世宗市議会議長が歓迎のあいさつ。内容は、本市は人口31万人の行政都市であり、国の行政機関が移転、将来は国会議事堂も移されるだろうとPR。

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続いて軍人(近くに基地がある)、僧侶も。いま日韓関係がおかしいが、人の心は同じ。いま一緒にいることに意味がある。これを縁に両国の関係もよくなるだろう。よい思い出をもって帰ってほしい。広い、心だ。涙がでそう。

韓国伝統楽器の奏者2人の男女(有名な人とか)が紹介され、演奏を披露。日本でいえば、琴、笛、太鼓、胡弓。締めは、日韓でアリランを合唱。

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次に一人の男性が立ち上がり、民謡らしきを身振り手振りで歌い、披露。庶民が宴席で踊るもののようで、日本の「にわか」のよう。歓迎のしるしだ。

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この歓迎の席は地元の実業家がすべての費用を出し提供してくれたものという。
会場の古民家も実業家の所有。その人とも名刺交換をしたが、ハングル語で書かれているので、ここには紹介できない。はたしてこんな実業家が日本には、高知県にはいるであろうか。韓国実業家の太っ腹に驚いた。

日本人10人を代表して小澤さん(金子文子研究会)がお礼の挨拶。

帰りに、全員で写真。両手を頭の上にのせるのは韓国流。「金子文子、愛しているよ」の掛け声のあとで、このポーズ。横断幕に、実業家の会社名が書いてある。

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このあとは駅前のバスに戻り、16時ごろ、ソウルへと帰途につく。約1時間半で、前日の朝、出発した地点に戻り着いた。

ここで解散かと思ったら、最後に簡単な夕食をという。おもてなしが徹底している。韓国風中華料理店で、みなでテーブルを囲む。国民文化研究所の現会長巖東一さんもみえた。

隣席になった小澤さんから、前の日、聞慶文化院での交流会で観光政府から受けた文子への感謝牌を見せてもらった。

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このツアーの一番の長老で、国民文化研究所元会長の李文昌さんと二人で記念写真。李さんの自宅はわたしらのホテルと同じ方向だというので、4人で同じタクシーに乗り、ホテル前で、李さんとお別れをした。(続く)

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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