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小野道一(1)

幸徳秋水にさまざまな影響を与えた親戚一族として、安岡、桑原に続き小野について書きたい。 


1.大学南校から中央官吏へ

小野は秋水母多治の実家である。小野家は士族格をもつ山路村庄屋であったが、多治の父雲了(亮輔)は三男であり中村に出て医師になっていた。雲了の妻は同じ小野の伊田(旧大方町)分家雲平の娘須武子(澄)であり、その姉の教は蕨岡伊才原大庄屋桑原義厚に嫁いでいた。

雲了、須武子の子は娘二人、多治と嘉弥であった。普通ならどちらかに婿をとるのであろうが、多治は商家幸徳に、妹の嘉弥は雲了の姉菊が嫁いでいた郷士安岡の次男良哲(長男は良亮)に出し、小野家養子として桑原義厚、教の次男道一を迎えた。道一の兄は本誌五号に書いた桑原戒平である。

道一は嘉永三年生(戒平の六歳下)。兄同様、安岡良亮に学問を、樋口真吉に剣術を学んだ。郷土史家上岡正五郎先生が書いた「中村市史」では、道一は明治初年、谷干城に従って上京、大学南校(東京帝大前身)で法律を学んだとある。干城、良亮、戒平は維新東征迅衝隊の幹部であったという関係が背景にあったと推測されるが、上京の詳しい経緯や時期等についてははっきりしない。道一はその後も生涯にわたり干城と深いかかわりをもつ。

安岡良亮は新政府入りのため明治二年一家で上京。道一も官に入り、明治三年、東京で良亮次女の英と結婚した。いとこ同士であった。(良亮の長女の芳も桑原戒平妻になっていた。桑原兄弟と安岡姉妹が結婚。)

道一、英の末の娘に岡崎輝がおり、英が昭和十二年大阪府豊中市の岡崎家で没したあと書いた「小野英子年譜」があるので、以下の道一の事績はこれに基づいている。

明治六年、道一は度會県(のち三重県)警察部長として赴任中、長男新が伊勢の官舎で生まれた。同時期、良亮は同県参事であり、小野新たに興るべしと命名。隣の官舎には尾崎行正夫妻(咢堂父母)がおり、新婚夫婦の世話をしてくれた。

その後、三潴県(福岡)警察部長を経て、明治九年、熊本県令の良亮が神風連の乱で斬られた時は鹿児島裁判所判事になっていた。

翌年、西南戦争で西郷軍に与し、上奏に加わったことで長崎に軟禁。その後解かれ、東京に戻り大審院に入った。

しかし、明治十二年、二十九才で官を辞し、中村に帰る。理由は養父雲了の老後をみるためと書かれているが、兄桑原戒平も西南戦争後熊本から帰っていたので、私は兄弟で申し合わせたものと推測する。(雲了は明治十七年没)

続く


「文芸はた」6号
2019年7月発行

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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