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尾﨑知事の異常

高知県知事選挙が終わった。勝ったのは、自公と尾崎知事が支援をした前総務省官僚浜田省司氏だった。

選挙結果の分析、評価は、新聞等でいろいろ書かれている。その中で、勝敗を分けた大きなポイントになったのは、尾崎知事が全面的に浜田候補を応援したこと、という見方では共通している。私もそう思う。この点に絞って書きたい。

私はこの選挙の主役は尾崎知事であったと思う。さながら自作自演のひとり舞台であった。

今年8月、自らは4選不出馬と衆議院高知2区に自民党から出馬を目指すことを表明。併せて、後継候補に浜田氏を指名した(自分一人で決めた)。

尾崎知事は、過去2回無投票で続投してきたように、「県民党」的な、幅広い支持があった。しかし、今回は、自民党にひた走り、選挙本番では公務を放り出した形で浜田候補を応援した。録音テープも各戸に電話で流した。おそらく、過去の全国の知事選挙でも、これほどまでに現職が後継のために「矩(のり)を踰(こ)え」、動いた例はないのではないだろうか。

選挙結果を受けた26日の記者会見では、11月7日告示から24日の投票日まで、土日を除く平日12日のうち10日は公務をしたと開き直っているが、高知新聞の知事動静欄を見ればわかるように、その10日の記載はわずかで、少しだけ県庁に顔を出してから、内部協議だけすませ、応援に駆け付けたことが明らかである。

公務の合間に応援をしたのではなく、応援の合間に少しだけ公務をした、というのが実態である。

応援スタイルも、屋内の集会でマイクをもつだけでなく、腕に運動員の腕章をまいて、歩道から街頭宣伝も行っている。知事がそこまでやるのか、と誰もが思うような、異常、異様な光景であった。

尾崎知事のこうした行動をみて、「本性が現れた」という見方が多かった。

しかし、私にはそんなことはわかっていた。尾崎知事はそんな人物であるということが。みんなが抱いているような幻想はもっていなかった。私は、6年前、「本性」を目の当たりにしているからだ。

というのも、尾崎知事は私が再選をかけた2013年4月の四万十市長選挙に乗り込んで来て、相手候補(現中平市長)を応援したのだ。

相手チラシには、両者肩を組んだ写真を載せた。(今回も浜田候補もそっくりの写真を使っていた)。

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相手が市立中央公民館で総決起集会を開いた日、知事は午前中、私も出ていた幡多の首長らが集まった観光振興のための会議に出たあと、宿毛市方面で他の公務をこなしてから、夜の集会に臨み、壇上からマイクで「現市政とは連携が十分とはいえない」と言って、ガンバローとこぶしを挙げた。

尾崎知事 中平写真

この日は、昼は公務であっても夜は明らかな政務。なのに、公民館に公用車で乗り付け、公用車で帰っていった。政務に公用車を使ったのだ。

こうした知事の行動は、本来公平であるべき市町村の選挙に介入したものとして、「やりすぎ」という批判が出た(新聞投書も)ことから、知事は記者会見で「今後は原則としてかかわりません」と弁解、約束した。県議会答弁でも同じように答えた。

しかし、尾崎知事は、3年後の香南市長選挙でこの約束を破った。この時は、自分の最初の選挙で世話になった(後援会事務局長)元県議の現職を応援したのだ。劣勢の中、「知事効果」で勝った、と高知新聞に書かれた。

この二つの選挙については、すでにこのブログで書いているので、詳しくはこちらを読んでいただきたい。
→ http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-264.html

私は負けたから書くのではない。私が言いたいのは、知事が市町村長選挙に介入した大義名分は何だったのかということだ。

知事も26日の記者会見で言っているように、知事も政治家であるから、自分の政治主張をすることはかまわないし、選挙の応援をすることも許される。それはいい。

しかし、議員とは違い、首長となると、地域住民の生活を左右するような強大な権限(執行権)をもっている。だから、大義名分がない限りは、他の選挙に介入することには、抑制的であるべきである。

大義名分がある場合は別である。例えば、沖縄において、知事が市町村長選挙にかかわる場合である。辺野古基地問題のように、県政(国政)の争点と密接につながる争点がある場合である。県の問題と、市町村の問題が密接につながっているからだ。

では、四万十市、香南市の市長選挙にそんな争点あったのかというと、なかった。

四万十市では、現職市長(私のこと)とは連携がとれていないといわれたが、私には何のことかわからなかった。知事も具体的なことは、何も言わなかった(言えなかった)。

香南市の場合もそうだ。県が絡む争点はなかった。

要は、四万十市の場合は、漠然と私のことが気に入らなかった、香南市では、現職市長が「お友達」だったから、ということ。個人的な「好き嫌い」のレベルだったのだ。

今回の知事選もそうだ。浜田候補は自分が頼んだ候補であり、自分の政策を引きついでもらえるから、つまりは親しい「お友達」だから、懸命に応援したのだ。

しかし、これが大義名分だろうか。

松本けんじ候補にしても、尾崎県政のいいところは引き継ぐと公約で言っていた。尾崎知事は「継続」か「中断」を争点にしたかったようだが(マスコミもかなりそれに引っ張られたことは問題)、本当の争点は「国とのかかわり方」であった。

自分の後継を決める選挙だから公務を事実上放棄してまで応援をしていいのか、それが大義名分になるのかというと、ならないと思う。

自らが4選をめざし、自ら動くのは当たり前だが、自分がやめたあとの選挙はもはや「自分の選挙」ではない。ましてや、今回は、事実上、自分の12年間の評価を問われる選挙であったのであるから、厳粛に県民の審判を受ければいいのである。

なのに、候補者顔負けのようにマイクをにぎり、自分はこんなに実績をあげたなどと、自慢ばかりをしていた。自分の評価は他人(有権者)がするものであり、自分で自慢ばかりするのは、ひんしゅくである。

それでも、自分の後継を決める選挙だから、ある程度のかかわりをもつことは心情的にやむをえない、許される面はあるだろう。

しかし、「矩(のり)を踰(こ)え」てはならない。

背景には、今回の選挙結果は、次の自分の選挙(衆議院高知2区)につながることがある。半分以上は自分の選挙として動いていたのだと思う。自分の選挙の事前運動的位置づけだったのだろう。

人間だれしも自分がかわいい。
しかし、知事のような公人は、「自分のため」「お友達だから」は抑制しなければならない。今回の場合、自分が知事をやめてから存分に動けばいいのである。

今回は、どっしり構えていればよかったのに、余計に動いたことで、中立的な立場の県民にも失望、失笑を与え、自分の選挙にもマイナスになったと思う。これまでの相対的に高い評価を自ら貶めしまった。

人間、我欲に走ると自分を見失う。
もって銘すべき。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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