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戦後幡多青年団運動と愛育園(2)

中村、幡多の青年団運動のシンボルは兼松林檎郎である。「団結すれば立ち、分裂すれば倒れる」と檄を飛ばし、運動の求心力となり、精神的主柱となった。高知県連合青年団の初代団長にもなった。昭和二十九年、結核のため三十六歳で逝ったこともあって、カリスマ伝説になっている。

今回知ったのは、兼松林檎郎は言わば表の人であり、本田悦造は裏の人であった、ということ。

悦造は大正八年、中村の本田家三男として生まれた。父俊馬は月灘村才角から中村に出て歯科院を開いていた。悦造は旧制中村中学から一高、東京帝大(農学部農業土木学科)へ進んだが、飛行機工学に志望変更し名古屋大学に転校。敗戦時は陸軍航空本部依託学生として長野県岡谷の航空技術研究所にいた。

天皇詔勅を聞いた翌八月十六日、ふるさとに向かった。満員混乱の車中でこの先どうしたらいのか悩み考えた。そこでひらめいたのが「青年団を創めよう」。目的は郷土の復興と文化の向上に置き、構想を頭の中に固めた。

十九日、中村に帰るとすぐに、東大後輩で在学疎開帰省中の京極純一、太宰恒吉を訪ねて構想を相談。団長は二つ上の兼松林檎郎に頼むことになった。

しかし、林檎郎は渋った。理由は、戦中の青年組織の県団長や開拓青年団長もやり、満州や戦地に若者を送った責任があるというものだったが(このあたりの詳細は不明)、なんとか説得した。八月二十五日結成準備会、九月一日結成総会となる。開会挨拶本田、議長兼松、議案説明本田、京極、太宰。

結成を見届けてから本田、京極、太宰の学生三人は大学に戻り、ともに昭和二十一年九月卒業。本田だけは就職が決まるまでということで一時帰省した。

その時、中村町と幡多郡の団長を兼務していた林檎郎から中村の団長の後継を頼まれた。「元々、君の創ったもんじゃけん」と言われ、受けざるをえなくなり、中村連合青年団二代目団長になった。

さて、愛育園のカネ集めである。本田には一高、東大時代の人脈があった。最初に一高剣道部の先輩石田和外(司法省人事課長、後に最高裁長官)を訪ね、自宅の離れを借りた。ここを拠点に七十日間、国会議員などを回った。吉田茂(首相)、林譲治、寺尾豊、入交太蔵、西山亀七など。最初は出し渋っていた議員も粘り負け。林譲治からは「今回の君の趣意書は関係大臣にも渡り、保育行政上の政策に上乗せすることになったよ」とねぎらいを受けた。

昭和二十三年五月、奈良で開かれた全国保育連合会第一回大会に四国代表で出たさいには、周りは長老ばかりの中で、唯一人青年団の若き園長ということで紹介され、万雷の拍手を浴びた。

同年十月、愛育園園舎完成、二代目園長に一條神社川村清水宮司を迎えた。大橋通二丁目の澤田勝行さん(昭和十九年生れ)は新築ピカピカの愛育園に入り、ヒゲの爺さんがいたことをおぼえているという。

青年団自主運営の愛育園は常に財政に苦しんだが、団員の太陽館の澤田寛が地域巡回の移動上映会(「小鹿物語」など)を企画、青年団がフィルムの運搬、宣伝人集めをし、カネを作ったりした。

「中村町連合青年団立愛育園」はその後昭和二十八年、中村町立に移管。移管時の児童数三四四名、園長・保母十一、医師一、保健師一、書記一。同五十六年現位置(東町三丁目)に移転。

幡多郡連合青年団は林檎郎主導で幡多公民高等学院も設立。高校へ行けない青年のために、毎月一週間、年限三年の授業をおこなった。合宿所も併設。学校法人の認可も得て、高校卒業の資格が与えられた。(場所は現・中村病院)

こうした青年団運動は、当然のことながら多くの地域リーダー、政治家を生んでいる。「三川」と言われた、長谷川賀彦(中村市長)、矢野川俊喜(土佐清水市長)、小野川俊二(大方町長)のほか、中平幹運(西土佐村長)、栗原徹(県議)、田頭文吾郎(同)などである。

また、教育の分野でも、生活に密着した綴り方運動や勤評反対運動などが、幡多郡で盛り上がった背景、地盤には青年団運動があったと言えるだろう。

最初の中村連合青年団の設立にかかわった二人の秀才(ともに大正十三年生れ、旧制中村中学、高知高校出)。太宰恒吉(東大物理学科卒)は原子物理学研究の途上、東京工業大学助教授時代の昭和三十七年、大雪山登山において遭難死(三十七歳)。京極純一(東大政治学科卒)は東大教授、日本を代表する政治学の権威となり、母校中村高校で里帰り講演をおこなったこともある。平成二十八年没(九十二歳)。

昭和四十二年、「幡多郡青年」は、中村城跡三の丸に「兼松林檎郎をたたえて」の碑を建立。

本田悦造はその後、県立女子大、高知工専、宿毛工業などで教員をつとめた。退職後昭和四十九年、中村市長選挙出馬。平成十一年没、八十歳。(終り)

 (参考引用文献)
「青春の軌跡―幡多郡連合青年団活動の記録」(平成十年)、中村市史、四万十市子育て支援課資料


「文芸はた」7号 所収 2019年12月刊

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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