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飛鳥山から古河庭園へ

就職後、東京では4カ所の社宅に住んだ。一番長かったのは、北区中里、通称「田端の高台」の5年間(1984~89年)。すぐ下が崖だった。

高台とは、武蔵野丘陵が途切れる東端のことで、上野の山から王子の飛鳥山まで。崖下を電車の京浜東北線が走っているのでわかる。

11月15日、上京して時間があったので、思い出さがしに、久しぶりにそのあたりを歩いてみた。

山手線大塚駅からチンチン電車の都電荒川線に乗り替え、飛鳥山で降りた。目の前の飛鳥山公園に上がる。

ここには社宅からジョギングをしてきて、公園の中を何周もしたところ。もともと飛鳥山は8代将軍徳川吉宗が桜の名所として開発した有名なところで、当時は桜以外にもツツジを斜面いっぱいに植えていた。5月は満開に咲き、桜のあとも楽しませてくれていた。

しかし、いまはそのツツジはなく、斜面には岩山風に改造されていた。山の頂上にあった展望タワーはなくなっていた。中央広場の噴水はそのままだが、いまの季節は水を止めていた。

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当時はこどもたちがたくさん来ていた。ちょうどバブル経済にうかれているころだったので、にぎやいでいた記憶があるが、その日は平日の午後3時を過ぎ、肌寒くなった時間帯であったせいもあるのだろう、人影もまばらで、さみしい感じがした。公園全体が小さくなったような気もする。人間の記憶なんて、いいかげんなものだ。

渋沢栄一記念館に入ろうと思ったが、改修のため閉館中。残念。公園を出て、高台に沿って南へ歩く。大蔵省印刷局工場(現・独立法人国立印刷局)、平塚神社の大きな銀杏の木も、入り口の団子屋さんも以前のまま。うれしい。

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すぐ古河庭園に着く。都立のせいか、入場料は150円(65歳以上70円)。以前は100円だったが、相変わらず安い。

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シンボルの黒い洋館、前庭のバラ園と下の段の日本庭園。バラはまだちらほら咲いている。モミジには少し早いが、他の紅葉が池のまわりに映えている。和洋折衷の美は、昔と全く同じだ。

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だが、違うものがある。私の中の「古河」という名前へのこだわりだ。

改めて、もらった資料、掲示板で確認をした。この庭園は旧古川財閥の邸宅跡である。明治の元勲陸奥宗光の別宅であったものを古河が譲り受け、3代目古河虎之助が大正3年のころ、周辺土地も買い増しして、贅を尽くし、いまの形にした。

古河と言えば足尾銅山。田中正造が鉱毒被害からの救済を訴え、天皇に直訴。直訴文を書いたのは幸徳秋水だった。しかし、鉱毒が渡良瀬川に流れ込み、谷中村は消されてしまった。

学生時代、荒畑寒村「谷中村滅亡史」を読んでいたので、そのことは知っていたが、その後、中村に帰り、秋水の顕彰事業にかかわるようになってからは、自分自身の問題になった。天皇直訴文(写し)は四万十市立図書館の秋水資料室に展示している。

戦後、財閥解体により、古河は庭園を手放し、いまは都が管理している。日本を代表する庭園であることは間違いない。私はこれまで見たどの庭園よりもすばらしいと思う。

和洋折衷の庭園様式は日本の近代文化そのものである。それを見事に表現している。

しかし、その見事さは、谷中村の人たちの犠牲、血と涙を搾り取ることによって、つくられた。そのうめき声が聞こえる。日本近代史の一大事件であった。

私の中で葛藤が煮えたぎるこの場所には、これからも何度も来たい。

いまは民間マンションになっている社宅跡を見ていたら、暗くなってきた。去りがたかったので、駒込駅前の居酒屋に入り、30年前の余韻にもう少しひたった。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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