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正福寺 宗教活動再開

幸徳家の墓があり、かつて菩提寺であった正福寺(中村山手通)は長らく休眠状態であったが、このほど佐藤嘉辰住職(50歳)が着任し、宗教活動を再開した。

正福寺本堂

正福寺は鎌倉時代の承元元年(1207年)、朝廷の怒りを買い土佐中村へ配流されることになった法然上人を迎えるために地元民が建立。配流先は讃岐に変更になったが、法然は落胆する住民に身代わりの袈裟を贈ってくれた。この袈裟は、いまも市立郷土博物館に所蔵されている。

以後、浄土宗の有力寺院として栄え、幸徳家、木戸家(秋水漢学の師木戸明)など、主に中村の町人たちの菩提寺となった。

しかし、幕末勤皇運動のあおりを受け、明治初年、廃仏毀釈で廃寺に。本尊仏像は大分県佐伯市潮国寺に避難したままとなっている。本堂跡には裁判所が建ち、墓地だけが残された。

明治36年、兵庫県の寺の名籍を移す形で再興。大逆事件後、秋水墓参者は裁判所窓越しにチェックされたという言い伝えが残っている。

戦後には本堂、庫裏も改修されたが、住職が定着しないままであった。このため、檀家が離散し、周辺の寺院に移ったり、幸徳家のように神道(一條神社)に鞍替えした家もある。

佐藤住職は京都市生まれで、京都商業、佛教大学で野球部所属。卒業後、松竹芸能に入り、お笑いタレントを目指したが、病気を機に「改心」。仏門に入り、浄土宗本山知恩院で修業したという異色の経歴をもつ。

須崎市の浄土宗発生寺から派遣されて来たもので、この間、精力的に動いている。今年8月お盆には、秋水墓の前で経を唱えてもらった。

佐藤嘉辰住職

9月には本堂で最初の法話が行われたが、さすが興味をひく、飽きさせない見事な口上であった。

秋水墓のある寺に住職が復活することは歓迎すべきこと。檀家名簿が残されていないということから、幸徳秋水を顕彰する会としても協力し、墓石名から元の檀家をさがしだし、住職を案内したりしている。
 

「秋水通信」27号記事 2019.12.10発行

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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