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秋水と小澤征爾ファミリー(2)

昨年8月12日放送のNHKファミリーヒストリー小澤征悦(征爾の息子)の中で、征爾の祖父新作が「幸徳秋水をかくまった」と間違って紹介され、NHKも間違いを認めたことは、昨年10月22日付けこのブログで書いた。

この問題について、その後、新たな展開があったので、以下、報告したい。

ひとつは、ルポライター鎌田慧さんが、昨年12月24日付東京新聞「本音のコラム」でこの問題を取り上げてくれたこと。

鎌田さんは、幸徳秋水を顕彰する会会員。私は今回の顛末を幸徳秋水を顕彰する会の機関誌「秋水通信」27号(顕彰会ホームページにリンク)に書いたので、鎌田さんはこれを読んでくれたのだ。「NH  Kも軽くなった」と評していた。

鎌田慧 コラム 東京新聞2019.12.24

もうひとつは、私のこのブログに、「秩父困民党の人をかくまったのが、秋水に入れ替わったではないか」という旨の書き込みをもらった。(府中の府中着者さん、コメント欄で見られます)

私はなるほどと思った。明治17年11月の秩父事件では、幹部の何人かが全国に逃亡している。山梨県と秩父は山を隔てつながっている。それはありうることだ。

私は秩父事件の幹部で山梨県方面に逃げた者の記録が残っていないか調べた。ネットで埼玉県に秩父事件研究顕彰協議会があることを知り、問い合わせたところ、事件の幹部の一人であった落合寅市が山梨県を通って静岡県方面に逃げたという記録が残っており、そのルート上に高田村があることを教えてくれた。

落合寅市
落合寅市
後掲 中澤市朗『歴史紀行 秩父事件』より

秩父郡下吉田村生まれの落合寅市は秩父事件で蜂起した農民の一人。事件を描いた映画「草の乱」にも登場する。その記録とは、寅市が後年書き残した「綸旨大赦義挙寅市経歴」(『秩父事件史料』第二巻所収、埼玉新聞社発行、1972年)である。

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私はこの記録をネット古書で購入して読んだ。これによれば、寅市は最初東京に逃れ、それから八王子→甲府→鰍沢(かじかざわ)→身延→興津(静岡県清水)へと走っている。地図を見ると、確かに高田村は甲府→鰍沢の途中にある。

嘉永三年生まれの寅市は当時34歳。文久二年生まれの小澤新作は22歳。「人並外れた義侠心のあった」新作が寅市に宿を提供したことは考えられる。

秩父事件は、蜂起した農民たちにとってまさに「義挙」であった。秩父は貧しい山村。幕府倒壊、御一新によって生活が楽になると思っていたのに、地租改正、徴兵による負担増に加え、松方デフレ政策により、主産業の養蚕価格が大暴落、農民は高利貸しの餌食に。高利貸しは官と癒着していた。

秩父(武州)は山の中であるが、峠を越えれば、上州、信州、甲州だ。幕末慶応期には武州世直し一揆もあった。

こうした地に、明治十年代になると自由民権運動の波が寄せてくる。大井憲太郎らがオルグに入り、秩父自由党が結成され、秩父困民党へと発展していく。

秩父事件で立ち上がった農民たちは長い間、百姓一揆さながらの「暴徒、暴民」とされ、その子孫たちは日陰者扱いされてきた。

しかし、事実は、自分たちの生活困窮の原因は藩閥政府の悪政にあることを見抜いていた。「自由自治元年」の旗を掲げ、「恐れ多くも天長様に敵対するから加勢しろ」と檄を飛ばし、下吉田村の椋神社に馳せ参じた農民は約三千人。体制変革を展望した革命的行動であった。

驚愕した政府は山縣有朋の命令でただちに軍隊を派遣。近代装備の軍隊の前に、竹槍、火縄銃の農民軍は総崩れとなる。困民党総理田代栄助、参謀長菊池貫平、大隊長新井周三郎らは捕らえられ死刑に。会計長井上伝蔵は北海道に逃亡。西に逃れた落合寅市は副大隊長であった。

高田村の小澤新作は、同じ農民として寅市たちがとった行動に共感、同情したのかもしれない。

幸徳秋水は大逆事件で「逆徒」「極悪人」とされ、処刑された。罠を仕組んだのは同じ山縣有朋であった。

自由平等、貧しい人たちの解放をめざした秋水の社会主義、無政府主義は秩父困民党に通ずるものがある。新作の代には落合寅市だったものが、子孫に口伝えされる中でいつしか幸徳秋水に変わったのかもしれない。
 
落合寅市の話は、まだ続く。

寅市は静岡から奈良、大阪へと走る。さらに四国多度津に渡る。琴平、今治から土佐へ。立川、森村を通り高知、唐人町に入り、板垣退助を訪ねた。

板垣は一部始終を聞き、寅市をかくまってやることを約し、土佐山村の自由党員高橋簡吉を紹介した。寅市は簡吉について高知城下から小坂峠を越え、西川部落に身を隠した。

土佐山村では立志社創設の影響を受け夜学会が開かれていた。夜学会は民権結社山獄社につながり、のちに簡吉は初代土佐山村長になる。

寅市は秩父のことが気になっていた。土佐山に8か月潜伏した後、浦戸から神戸へ。同じコースを東に戻る。山梨県も同じ鰍沢→甲府を通ったので、あるいはこの時、小澤新作の世話になったのかもしれない。甲府からは東京に回らず、雁坂峠を越え秩父に戻った。

しかし、秩父では官憲の捜査が厳しく、またすぐに東京へ出た。旧知の大井憲太郎に会ったことで大阪事件に巻き込まれる。最後は九州門司で拘束された。

明治二十二年、憲法発布の大赦で出獄。その後は秩父に帰り、事件犠牲者の顕彰活動に身を捧げた。昭和十一年没。生涯自らを誇り高く「立憲志士」と呼んだ。

小澤征爾の祖父新作が「かくまった」人物が幸徳秋水でないことははっきりしている。落合寅市が高知へ逃げ、板垣退助にかくまってもらったのは事実である。秋水も高知のわが中村出身だ。同じ高知ということで、落合寅市が秋水と混同されて伝承された可能性は現実味をおびる。

しかし、これには「状況証拠」だけで、確実な裏付けはない。ここまで来たら真実を知りたい。私は山梨県旧高田村に出向くことにした。

なお、落合寅市の逃亡については、中澤市朗『歴史紀行 秩父事件』(新日本出版社、1991年)にも書かれている。(続く)











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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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