美濃と近江

妻の両親の彼岸の墓参りに、美濃の国へ行って来た。
大阪に2泊して。

妻の父は4年前、母は今年1月、他界した。
父は、いまの岐阜県関ケ原町今須の生まれ。
若いころから、ずっと大阪に出てきていたが、家の長男だったこともあり、いまは母と一緒に、ここの菩提寺(曹洞宗妙応寺)に眠っている。
この5月に納骨をしたばかりであるが、最初の彼岸でもあり、出かけた。

今須には、これまでも何度も出かけているが、いつ行っても興味深いところだ。
元は今須村だが、いまは関ヶ原町に編入をされている。
関ヶ原といえば、伊吹山(1377m)の麓、天下分け目の古戦場で有名であり、小早川秀秋の松尾山をはじめ、各武将が陣取った山々に囲まれている。

今須はその西の端、つまり美濃の国のどんづまり、近江(滋賀県)との国境にあたる。旧中山道の宿場町で、京都からいえば、数えて11番目、美濃の玄関口にあたる。いまなら、大阪から名神高速で約2時間だ。

DSCN4879.jpg     DSCN4040.jpg

いまでは、名神高速のほか、国道21号、JR東海道線、新幹線が並行して走っており、騒がしいと言えば騒がしいが、旧中山道の古い道やその雰囲気をかもしだす家並も断片的に残っている。

名所、旧跡もたくさんあるが、その代表が「寝物語の里」。
私は以前にも訪ねたことがあるが、今回、久しぶりに寄ってみた。
旧中山道を流れる、小さな溝ひとつをはさんで、美濃と近江の国に分かれており、家も隣接しているので、寝ながらにして隣の国の話を聞ける。中世の頃から、京の文人をはじめ数寄者の世界では有名だったとか。多くの古い書物にもでてくるという。
源義経を追ってきた静御前が隣の宿(隣国)の声を聞いて、家来(江田源蔵)に会えたという言い伝えが、記念碑には書かれている。
また、俳人芭蕉もここを訪ねて来て、句をひとつ残している。

正月も美濃と近江の閏月(うるうづき)

最近では、司馬遼太郎が「街道をゆく」(第24巻、近江散歩、奈良散歩)の冒頭で紹介をしている。司馬が取材に訪れたのは昭和59年。

DSCN4890.jpg     DSCN4894.jpg     DSCN4903.jpg

古い石の標柱が国をはさんで2本立っている。
旧跡寝物語 美濃国不破郡今須村
近江美濃両国境寝物語 近江国長久寺村

ここは、車一台が通れるくらいの狭い道で、家もそう多くはなく静閑で、古道の雰囲気をいまに残している。
県や国の境界は、全国どこにでもあるのだろうが、ここが歴史的な旧跡として残っているのも、うなづける。

今回は、少し時間があったので、関ヶ原の不破の関跡も訪ねてみた。こちらは、はじめて。車が生き交う国道21号沿いにあった。入口の門はぎょうぎょうしいくらい大きかった。ここは、日本の古代、律令時代、鈴鹿の関(伊勢)、愛発(あらち)の関(越前)と並んで天下三関と言われた。
 資料館もあるが、あいにく3連休あとの休館日であったので、今度来た時に中を見学することにした。

DSCN4889.jpg     DSCN4884.jpg
   

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR