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濱口雄幸生誕150年

今月は濱口雄幸生誕150年である。(誕生日は明治3年5月1日)

濱口は高知県出身で最初に首相となった人であり、髭をたくわえた、いかめしい風貌からライオン宰相と呼ばれたことなどは、以前このブログにも書いた。(2015.5.8)

きょう改めて書きたいのは、いまのコロナの状況が濱口の首相時代と似ているからである。

いまのコロナ蔓延による世界的な経済不況は、1929年の世界恐慌以来だと言われている。濱口の首相在任期間は1929年7月~1931年4月。世界大恐慌の象徴、ニューヨーク株式市場の株価大暴落は1929年10月、濱口首相就任3か月後のことである。

当時の日本は世界に先行したデフレ不況の中にあり、さらに世界からの大波をかぶった形になった。

当時、濱口内閣は国際協調、緊縮財政を基本としていたことから、世界統一の金本位制への移行を断行。しかし、これが裏目に出て、経済は混乱した。

濱口は1930年のロンドン海軍軍縮会議において軍縮案に合意したことから、軍部から反発を買い、11月4日、東京駅頭で右翼の銃弾を浴びた。その傷がもとで、1931年4月14日、命を落とした。「男子の本懐」という言葉を残して。以降、首相は若槻礼次郎、犬養毅と続く。

濱口死の5か月後の9月、日本の関東軍は満州柳条溝を爆破し、満州事変を起こす。政府も経済政策をインフレ、軍拡路線に転換。戦争の道を突き進む。(いま朝ドラ「エール」でやっている、古関裕而作曲、早稲田大学応援歌「紺碧の空」がつくられたのは、この年の6月)

濱口は、第一次大戦後、台頭してきたアメリカに対して、将来戦争をしても勝てないと考えていた。だから、国際協調、軍縮を常に基本にしていた。

しかし、世界大恐慌からの脱出の中で、あとの首相は軍拡→戦争への道を選んだ。(犬養首相は5.15事件で銃殺された。)

いまの状況に置き換えてみればいい。この間、アメリカの意を受け、日本の防衛予算(軍事費)は増加を続けている。日本はいまや軍事大国になっている。

そんなときのコロナ禍。社会経済活動は止まり、国民生活はどん底である。その救済策に政府も自治体も汲々としている。一人あたり10万円支給などが決まったが、その財源はすべて赤字国債である。将来のつけは国民に跳ね返ってくる。

こんな時こそ、軍縮である。軍事費からまわせばいい。軍事費は不要不急なもの。トランプの一声で莫大な価格の戦闘機などを買わされているというのに。

しかし、いま野党からも、誰からも、コロナ対策財源は軍事費からまわせという議論は出ない。情けないと思う。

コロナのあと、どんな日本になるのか。どんな世界になるのか、心配である。

今回、政府は反対世論の高まりに押され、検察庁定年延長法案をいったん取り下げたが、また手を変えて、出してくるだろう。

濱口雄幸がめざした軍縮は、世界大恐慌の混乱の中でつぶされ、軍拡→戦争への道へと突き進んだ。

コロナを機に、日本のいまの政権の独裁化が一層進み、憲法改悪、さらなる軍拡、アメリカと一体となった戦争への参加、という構図が現実化してくることを心配している。

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
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