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宇都宮健児さん

弁護士の宇都宮健児さんが3度目の都知事選に出馬している。過去2回は次点に甘んじたが、今度こそはと、期待している。

私が宇都宮さんを知ったのは、もうだいぶ前になる。サラ金問題が世間を騒がせていたころ、被害者救済に奔走している弁護士がいるということで、有名になっていた。

その頃は、街にはサラ金の看板が林立していた。武富士、プロミス、アコムなどの大手から、名もない業者まで。

宇都宮さんらの奮闘で、サラ金の実態が明らかにされ、その後、不当に高い金利を規制する法律ができたことなどから、いまはそんな名前の企業は消えてしまった。

しかし、当時より貧富の格差が拡大している今は、貧困化の問題は深く潜行している。生活困窮者の多くが多重債務に苦しんでいる構図は変わらない。

宇都宮さんは、常に社会から排除され、虐げられている社会的弱者の立場に立っている。弱者は世の中の仕組みによってつくられる。その仕組みを変えない限り、根本的な解決にはならない。

宇都宮さんが選挙に出るのは、そのためである。

私は宇都宮さんとは何の面識もないが、親近感をおぼえることが二つある。

一つは、宇都宮という名前と出身地。

宇都宮さんは、昭和21年、愛媛県の明浜町(いまの西予市)の漁村に生まれた。宇都宮姓は愛媛県が全国で一番多い。その多くは西予地区。

戦国時代、西予には宇都宮氏という国人・武将がいた。周辺の河野氏や西園寺氏と覇を争っていた。

同時期、土佐の中村には京都から下向してきた公家大名一條氏がいた。一條氏は土佐の西部から南予にかけて勢力を拡大し、4代兼定は、宇都宮豊綱の娘を最初の妻に迎えた。そんな同盟関係にあった。

二つは、大分県国東半島。

宇都宮さん9歳の時、家族は豊後水道を渡り、国東半島に開拓農家として入植。愛媛県はミカン産地であったことから、多くの人たちが、当時、国や大分県が国東半島で進めていたミカン栽培のパイロット事業に参加。電気もない山の中に入り、山を削り、木の根を抜いた。

戦後間もないころは、戦地や満州からの引揚者などが、全国各地に開拓入植した。大分県には、ミカンだけでなく、畜産、高原野菜などへの入植もあった。

資金力に乏しい、そうした入植者たちは、開拓農協をつくり相互に助け合った。

私が昭和51年、農林中央金庫に入って最初に勤務した大分支店では、大分県開拓農協に資金を融資していた。組合の運転資金と、組合員への転貸資金を。

新米の私はその直接の担当ではなかったが、開拓農協の担当の方がよく窓口に見えていたので、いろんな形でのお付き合いがあった。

開拓農協担当の先輩はあちこちの組合員農家を訪ねていた。厳しい生活実態をみると、資金の返済の話をするのがつらいということを言っていた。私も耶馬渓にある畜産農家に一度連れていってもらったことがある。

宇都宮さんは、開拓に汗を流していた両親の苦労が身に染みてわかっている。家の手伝いをしながら、一生懸命勉強をした。

がんばり屋で、成績が優秀だったことから、中学途中から熊本の親戚の家に預けられた。熊本高校から東大法学部へ。駒場寮に入る。

在学中に司法試験に合格。親に負担をかけまいと、卒業をまたずに司法修習生に。卒業証書をもらってからでもいいと思うのだが、その必要は感じなかった。

そして、いまがある。

宇都宮健児さんは、そんな人である。自ら苦労に中に飛び込んでいく。弱者の立場に立てる人。

ぜひ、都知事になってほしいと思う。

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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