FC2ブログ

幸徳秋水と秩父事件  NHKファミリーヒストリーの真実

 1.「暴徒・暴民」「逆徒・極悪人」

 「嗚呼自由党死す矣、而して其光栄ある歴史は全く抹殺されぬ。」

一九〇〇(明治三三)年八月、幸徳秋水は「自由党を祭る文」を、師中江兆民の勧めで「萬朝報」に書いた。

自由党は一八八一(同一四年)、板垣退助らによって結成された。しかし、明治政府の弾圧や内部抗争もあって、一八八四年十月二九日、大阪で解党大会を開いた。その二日後の十月三一日から十一月一日にかけて、埼玉県秩父の農民たちが一斉蜂起した(秩父事件)。

自由党はその後も復活・再編を繰り返していたが、秋水が「祭る文」を書いた翌九月、伊藤博文がつくった立憲政友会に最終的に吸収された。秋水は堕落、変質してしまった自由党を断罪した。

秋水はその後、日露戦争で非戦論を展開。真の自由・平等・博愛を掲げ、人間解放の社会主義、無政府主義へと思想を深化させていった。しかし、厳しい弾圧により天皇暗殺を企てた「逆徒・極悪人」に仕立てあげられ(大逆事件、一九一〇年)、抹殺された。

一九七一(同四)年、中村に生まれた秋水は、秩父事件当時は一三歳の少年であり、事件との直接のかかわりはなかった。

秩父の農民たちは自由党の指導を受けて独自の困民党を結成。秩父事件は「恐れ多くも天長様に敵対するから加勢しろ」のスローガンを掲げ「革命本部」を置き、圧政を重ねる明治政府の転覆を目的にピークで約一万人が参加した一大変革闘争であった。

驚いた政府は軍隊を派遣。鎮圧後は、田代栄助総理ら事件幹部八人に死刑など事件参加者に極刑を課し、事件は百姓一揆さながらの「暴徒・暴民」による「暴動」であったと宣伝し、事件の実態・真実を長く隠し続けた。

それは、秋水が「逆徒・極悪人」とされたのに先駆けた、国家への反逆は許さないという一大プロパガンダであった。


 2.NHKファミリーヒストリーの間違い

昨年(二〇一九年)八月一二日放送NHK「ファミリーヒストリー小澤征悦」(指揮者小澤征爾の息子で俳優)でのこと。

小澤家のルーツは山梨県西八代郡高田村(現市川三郷町)。征爾の従兄という人物が出てきて、二人の共通の祖父新作は土方の棟梁のような農家、村のまとめ役で、「人並はずれた義侠心があり」「幸徳秋水をかくまったことがある」という証言をした。

私は驚いた。そんなはずはない。すぐにNHKに抗議のメールを出し、続けて手紙も書いた。

一、秋水が山梨県に行った記録はない。

二、そもそも秋水が「かくまわれる」理由がない。のちの昭和の治安維持法、特高警察の時代とは違い、秋水の時代は尾行されることはあっても堂々と出歩いている。これでは秋水はまるで犯罪者、逃亡者だ。

三、秋水が映像に突然登場し消える。秋水につながるような新作の思想、行動等の紹介もなく不自然な編集。

しかし、NHKからの返事はなかった。そこで、直接高知放送局に出向き回答を求めたところ、やっと東京の小山好晴番組プロデューサーから電話が入った。

一、 問題の証言については秋水研究者、郷土史家等に裏付け調査をしなかった。お詫びする。

二、 再放送をする場合は、当該箇所をカットするか編集(説明)を加える。

NHKはいいかげんな番組をつくり、秋水の名誉を傷つけた。

しかし、なぜ間違ったのだろうか。私はこの顛末をブログに書いたところ、「秩父事件逃亡者と入れ替わったのでは」との無記名書き込みをもらった。私はなるほどと思った。

秩父事件研究顕彰協議会(事務局秩父市)に照会したところ、事件幹部の一人落合寅市(乙大隊副隊長)が逮捕されたあとに書いた「綸旨大赦義挙寅市経歴」に逃亡ルートが出ており、そのルート上に高田村があることを教えてくれた。寅市は高知まで逃げ、板垣退助に会って土佐山村に潜伏し、翌年同じ道を引き返し秩父に一時戻ったことも。

私は今年一月二五日、東京渋谷区正春寺(管野須賀子墓がある)で毎年開かれる大逆事件犠牲者追悼集会に参加した。

翌日、山梨県旧高田村に向かった。小澤家跡地、墓、菩提寺を訪ね、小澤開作(征爾の父)顕彰会世話人にも会った。

その日、寅市、秩父事件につながる記録・資料等は見つからなかったが、「寅市経歴」に出てくる甲府→鰍沢の逃亡ルートは小澤家の目の前の道であったことは確認できた。

また、NHKに問題の証言をした征爾の従兄小澤清氏(埼玉在住、昭和六年生まれ、八八歳)と連絡がとれ、直接電話で話を聞くことができた。

それによれば、秋水の話は晩年の新作(昭和十年没、七三歳)の世話をした母が新作から聞き、それを自分が小学生の頃教えてくれた。しかし、いつ、どこでかくまったのかというような具体的なことは聞いていない。新作は助けを求めて来た人は理由を問わず誰でも助けたが、思想的な背景はなかったようだ。秩父事件のことは聞いていない、と。

電話の話ぶりでは全くの作り話とも思えないことから、誰かほかの人物をかくまったことが、言い伝えの中で秋水に入れ替わった可能性があると思われた。

番組にも登場した小澤征爾の兄俊夫氏(小澤昔ばなし研究所代表、筑波大学名誉教授)にも問いあわせたところ、自分もテレビで見たが秋水の話は聞いたことがない、従兄(清氏)の思い違いだと思う、とメールで返事が来た。

ちなみに、この小澤俊夫先生は中村出身の小説家中脇初枝さんが筑波大学時代の学部長だったそうだ。


3.落合寅市か、菊池貫平か

秩父事件逃亡者を調べる中で、やはり幹部の一人(参謀長)菊池貫平も事件の二年後、甲府で捕縛されていたことを知った。

貫平の孫高橋中禄が書いた「秩父一揆巨魁の逃鼠」(昭和六年)によれば、貫平は秩父を逃れ、山を越えて出身地信州佐久に転戦したが、東馬流の戦いで敗走。東京、土浦などを経て、甲府の博徒のもとに潜伏していた。

甲府と高田村は近い。小澤新作と接点があったと考えられないことはない。

さらに、「チガヤの大将」こと島崎嘉四郎も佐久から敗走後、甲府に潜伏(貫平逮捕後)していた。チガヤ(千鹿谷)とは秩父郡上吉田村の地名。

しかし、嘉四郎の場合、春田国男著『幻歌行―秩父困民党島崎嘉四郎の生涯』によれば、偽名戸籍をつくり所帯ももっていたので、正体が発覚したのは大正八年没(五九歳)のずっと後も後、一九八三年のことである。

以上の調査から、小澤新作が「かくまった」のが秩父事件逃亡者とすれば(私はその可能性大と思う。ほかに幸徳秋水に相当するような山梨で有名な「犯罪者」はいないだろうから。)、落合寅市か菊池貫平ということになるのではないか。


4.山縣有朋、松室致

秩父農民たちの蜂起は信州佐久での抵抗含めても十日戦争で終わった。短期間で収束させた政府側の最大の功労者は山縣有朋であった。長州志士で、戊辰戦争、西南戦争等を指揮した歴戦の強者で、日本陸軍を育成。当時内務卿であった。

山縣は埼玉県から事件の急報を受け、即座に憲兵隊、鎮台兵の派遣を決定。もし、この判断が遅れていたら、秩父農民たちの希望と夢はもっと広がっていたことであろうに。

山縣は首相を二度つとめたあと、元老として内閣をコントロール。

山縣は秋水らの運動を徹底マーク。首相を西園寺公望から子飼いの桂太郎にすげ替え、大逆事件を仕組んだ黒幕である。

今回、菊池貫平欠席裁判、死刑判決文(明治一八年一一月、浦和重罪裁判所)を読んだ。裁判長判事島田正章、陪席判事補松室致とあった。

松室致はのちに山縣、桂の意を受け大逆事件を直接指揮した人物である。秋水らを消したことを手柄にして、検事総長から司法大臣にまで昇進した。秩父事件の延長線に大逆事件があったといえる証拠、証人である。

菊池貫平は帝国憲法発布による恩赦で無期懲役に減刑、さらに日露戦争勝利恩赦で釈放された。

落合寅市も欠席裁判で重懲役十年であったが、憲法発布恩赦で釈放された。

なお、大逆事件の震源とされた爆弾実験を行い処刑された宮下太吉は甲府生まれで、墓も甲府にあることから、今回立ち寄ったが、宮下は若いころから機械工として愛知、長野等に出ていたので、本テーマとの絡みはない。

今回の調査は、NHKが秋水について間違った放送をしたことによるものであるが、以前から関心があった秩父事件について詳しく勉強するきっかけになった。

秩父事件と秋水はつながっているだけでなく、明治維新以降の日本の歴史において唯一最大の、国権から民権への国家体制変革をめざした民衆蜂起であったことを知ることができた。

東京にいたころ、秩父には一度遊びにいったことがあるが、次回は事件探訪というような形で史跡、痕跡等を歩いてみたい。



「文芸はた」8号所収  2020年7月刊

20191022184412c6b.jpg
NHKファミリーヒストリー小澤征悦  証言


コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR